いやぁ~今日も暑いです
何日続いてるだろうか
雨も降らないから
えっ
もう梅雨明けかなって感じ
年々暑さが増してる気がします。
さて、今回も岐阜県
華厳寺のスグ近くに即身仏のお寺が有るって随分と前に教えて頂いてからずっと気になっていた。
今回、やっと来る事が出来ました
駐車場からの風景
緑と、赤い橋のコントラストが堪んない
こちらは
横蔵寺(よこくらじ)
石標
寺標
湿度が高いから石垣も石碑なんかもしっとり深い色になっていて
凄くイイね
都会の湿度はまとわりつくと不快なだけですが
ここは本当にイイね
お肌が綺麗になりそう
さて、行くぜ
赤い橋を渡って本堂へ向います
下を流れる澄んだ川
そして、苔がキラキラ光って美しい参道
秋になったら紅葉がものっ凄く綺麗なんだって
そして
3本杉
真っ直ぐシャンとしていて堂々としていて凄い
そんな杉の奥の方に小さな社が
秋葉神と庚申神
が祀られていました
寺門
奥には客殿と庫裡が有ります。
手前には
手水鉢と観音様
立った観音様と座った観音様
そして
小さな水車がぐるぐる~
古そうに見えますが1675年に建てられた仁王門です。
って
天台宗の寺院って感じがするねっ
檜皮葺の三重塔は1663年に完成したもので岐阜県の指定重要文化財
そっか・・
創建当初はもっと山頂の方に有ったんだってパンフに書いてあったな
山号 両界山
宗派 天台宗
御本尊 薬師如来
西美濃三十三霊場 第1番札所
~由緒~
801年、伝教大師・最澄が開山した天台宗の寺院で桓武天皇の勅願寺。
御本尊の薬師如来は比叡山の薬師如来と同じ木から最澄自らが彫り上げたもので笈に入れて諸国を旅したがこの地で急に動かなくなった為、寺を建立して安置したと言い伝えがある(現在の御本尊は別の薬師如来)
修行に良い環境の場所で横蔵街道と言う巡礼道が有り一里毎に薬師を祀っていた。
平安・鎌倉時代には本山として学問や文化の中心として栄えた証拠に本堂左奥の山頂には沢山の僧房跡や本堂跡・仁王門跡が残る。
戦国時代に入り次々と寺領を侵略され、元亀の法難には織田信長に全て没収される。
また、比叡山を再建するにあたり横蔵寺の薬師如来は比叡山に移り根本中堂の本尊となっている。
ここも慶長年間に再建され現在に至る。
他、ミイラの有る寺としても有名で、日本で最少年齢の即身仏で妙心上人と言う人物である。
by、頂いたパンフ等
他にも本堂周辺には
まだ新しそうな
鐘堂
使われなさすぎてジブリっぽくなった
水場
てか、使えないよね
観音堂
十一面観音が安置されています
今回の一番の目的の場所
妙心上人は1781年、この地で生まれ諸国を巡って修行を重ね1817年に断食修行の後、山梨県の御正体山で入定・即身仏となったそうで齢は満36歳だったそうです
何だか緊張するなぁ~
即身仏なんて初めてお目にかかりますから
と、堂内入り口には女性の受付さんがいらっしゃってホッとした
薄暗いお堂の中で即身仏と2人きりは味醂ビビリだから←何故来たのだ?
で、拝観料を納め中に入ると音声ガイドを流して下さいました。
小さな厨子の中に妙心上人が座ってた
不思議とコワい感覚はなくて、でも何だか色々と考えさせられました。。
人の生き方的な事をなんかぐるぐる~って考えちゃいました。。
※頂いたパンフから(堂内撮影禁止)
苦しくなって途中、逃げ出したくならなかったのかな・・
でも、ちゃんと座ってらっしゃるって事は私みたいな凡人にはきっと分からない様な心境だったのかな・・
それに
即身仏についてはユーチューブとかで色々調べたりはしていたけれど
本当に自然の状態で腐らないんだな。。
あああ。。
と色々と他にも考えちゃいました
さて、御朱印は舎利殿の受付で頂戴しました
宝物殿の様な感じです
御本尊の薬師如来もこちらに安置されているのですが秘仏の為、60年に一度の御開帳となっているそうな
舎利殿と瑠璃殿の拝観はセットなのでこちらも~
でも、あまりしっかり見れんかった
即身仏がインパクト有り過ぎました。。
何故か正面が崖の方を向いとる
そんな感じで
美しい緑の光に包まれた山寺と考えさせられる即身仏のいらっしゃる横蔵寺。
初めての体験をさせて頂きました
てな訳で
最終目的地の華厳寺に向かいます
味醂でした
横蔵寺
住所 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原1160
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