2月も今日で終わりなのに
珍しく記事の下書き保存が10数件残っている
色々バタバタ仕事したり出かけたりしていたから追いつかね。。
でも、
今年に入ってから毎日を無駄にはしていない気がするので
自己満足に浸っている
こんばんわ味醂です{普通に遊んでもいる💕
さて、お次は滋賀県
~゜・_・゜~
美しく澄んだ安曇川
雪がちらほら残っているね
空気がキンキンで気持ちいい
この辺りまで来たのって最後、いつだったかな
確か近畿不動の札所が有った筈
あっそうだ
葛川息障明王院
紅葉が真っ赤で綺麗だった
あれは平成25年頃だったかな。。
始発の電車にのって堅田からバスに乗って来た記憶
鯖街道だったかな
国道367号線を更に進んで行くと到着しました
今回の目的地はコチラ
興聖寺(こうしょうじ)
駐車場からの参道入り口には
お水がチョロチョロ冷たそう~
そしてその先には
お地蔵様
冷たい朝の空気が澄んでいて気持ちいし
苔のキラキラが綺麗過ぎてずっと見ていられる
ってのは言い過ぎました
さっむい
でも
凄い所に来たんじゃね?
って感じが凄くする
キーンとした清らかな空気とマイナスイオンで
古刹感が半端ないっす
って・・
まだ参道を歩いている最中ですが
こんなお寺には石仏が似合う
お地蔵様
そして
静かだ・・・
戦争で亡くなった方の墓石が方錐形と言って先端が尖っているのは剣を模しているからなんだそうです
その先には
寺標
そして
山門
山寺って感じがします
境内に入ると・・
名勝・旧秀隣寺庭園と書かれていました
1237年、朽木村の領主だった佐々木信綱が承久の乱で戦死した一族の供養する為に道元を招き、それに応じた道元が1243年から建立を始めたと有る。
当時は現在地とは違い安曇川を挟んだ場所(上柏村指月谷)に建っていたが1729年に現在地に移築される。
現在地は秀隣寺の跡地で更に以前は岩神館だった。
岩神館は1528年、室町幕府12代将軍足利義晴が京都の兵乱を避け、朽木稙綱を頼って朽木の地に身を寄せた際に稙綱が将軍の為に建てたもので、1606年に朽木宣綱が無き妻の為に寺として秀隣寺と号した。
秀隣寺はのちに朽木村野尻に移転、その跡地に興聖寺が移築された。
1828年、本堂が焼失するも1857年には朽木大綱の寄進で再建される。
by、上記案内板とかウィキとか
朽木氏がとっても大切に守ってきたお寺ってのがスゲー伝わる由緒でした
あっ
で、庭園は朽木稙綱が足利義晴の為に館を建てた際に造ったもので
面積は234坪有り谷から水を引いた鼓の滝は下流に曲水となり池まで流れている
武家書院の蓬莱池泉式庭園という物で国指定の名勝となっています。
そんな庭園を歩き進んで行くと
白いものは・・・
雪かっ!!
違う角度からも
山号 高巌山
宗派 曹洞宗
御本尊 釈迦如来
関西花の寺二十五霊場 第14番札所
本堂の前には屋根から落ちて残った雪がもっさり残っていました
大阪市内に住んでいたらナカナカ見れないもんだからテンション上がりまくったです
遠くの景色が霧で霞んでる
雲の切れ間から差し込む光に反射した椿が綺麗過ぎた
言葉足らずで良いよね
綺麗過ぎたから
興聖寺
住所 滋賀県高島市朽木岩瀬374
公式HP
アクセス