夜、仕事が終わって外に出たら
久しぶりに寒っ!
昼間の雨が止んで急に気温が下がったみたい。。
と言っても本来、1月なんだから寒くて当たり前なのですが暖冬続きだったから厚手のコートなんか着ていないし当然か
でも、北陸の被災地の方は寒かったら大変だろうな、心細いだろうな。。
なんて思いながら帰宅した夜
布団に潜り込んでブログを書いている
こんばんわ味醂です{多分、途中で寝落ちする。
元旦のこの日は暖かかった
葛城の景色を眺めながら周辺を散策
ダウンの背中がポカポカ暖かくて気持ち良い
目的のお寺に行くにはまだ早い時間だったので道標を頼りにブラブラ
四つ角には
庚申さん
そして
イヤキチ石かと思ったら
道しるべ
が有りましたよ
新しい道標には目的地の逆方向に
何やら傘堂って史跡が有るのか書かれていましたので行ってみるの巻
平日だったら、こんなに家族連れとか歩いてないだろうなぁ~
って思う田舎道は寂しい感じがしなくてイイネ
暫く進むと有りましたよ
草一本生えてない🌿
傘堂は今までにも見たことが有りますがどちらも町中に有ったので
自然の中で綺麗に整備された一角にポツンと有るから妙に雰囲気が有ります
説明版
~奈良県指定有形民俗文化財~
真柱1本で宝形造木瓦葺の屋根を支える独特の姿から傘堂と呼ばれる。
部材は総欅作りで、真柱東側上部には、阿弥陀仏を納置し、北側軒下には梵鐘が吊り下げられていた。
基壇中央に礎石を二重に捉え、柱穴を掘り、約60センチメートルの深さで真柱を挿し込み、足元の四隅の添板で支えている。
この建物は江戸時代前期に当地を領していた郡山藩主本多政勝(1614~1671)の没後、延宝2年(1674)にその「影堂」「位牌堂」として家臣の郡奉行吉弘統家らによって建てられたことが梵鐘や露盤の刻銘、棟札から判明。
影堂はその後、吉弘統家らが開さくした大池により益を蒙った三大字の人々によって守り続けられ、現在も9月初旬には大池(傘堂)の施餓鬼が三大字によって営まれている。
またいつの頃からか、真柱周囲を巡って安楽往生を願う風が生じ、5月14日の當麻レンゾには多くの人々がこの堂を訪れる。
この傘堂は民俗的に価値が高いばかりでなく、建造物としても、構造・手法等が優れ、他に類例少なく、珍しい遺構である。
昭和63年3月 奈良県教育委員会
當麻レンゾってナアニ
調べたら當麻寺の聖衆来迎練供養会式の通称らしい
2023年の當麻寺のお知らせには4月14日って書いてあったけれど・・5月で良いのかな
なんかネットの画像見たら傘堂に五色の幕が張られて上部の扉の中にこの日と9月の法要の時だけ阿弥陀様が帰ってくるんだそうで・・
見てみたいぞ!!
近くでパシャリ📸
吉弘統家と藤懸玄達のお墓でした。
さて、
この近くに昔々に役行者が開創したと伝わるお寺の跡が有るって書いてあったので探してみよう
ってか
すぐそばでした
高雄寺(たかおじ)
正確には高雄寺跡ですね
あっこんな所に
鐘楼
そして
観音堂跡
石碑には観音堂の写真が有りましたです。
いい味出したお堂だったのに残っていないのは残念ですね
でもって
葛城修験が日本遺産だったとは
素敵~
~由緒~
當麻寺の北に有り、7世紀後半に役行者が開かれたと伝えられる。
寺伝によると、後鳥羽天皇・白河天皇の勅願寺とされ、最盛期には「高雄千軒」と呼ばれる程の繁栄を見せたという。
大火により堂宇の大半は失われ、現在は礎石が残るのみだが、収蔵庫には平安時代の作と言われる木造の聖観音菩薩立像と藤原初期の作である木造の薬師如来坐像が収められており両方とも重要文化財である。
また、室町時代に作られた役行者像も収められていて全国で2番目に古い作だと伝わる。
by、上記案内板より
って・・もしかして収蔵庫って
コチラでしょうか
しっかりとした扉では有りますが管理の方が近くに住んでいるのでしょうが
重要文化財が収納されているにしてはチョット寂しい感じがしました
使われている感が有ります
境内跡にはこんな大きな案内板も有りましたです
なんか綺麗にされている
この神社と一緒に収蔵庫なんかも管理されているのかな
なら、安心ですね←上から目線みたいで自分で書いていて変だなって思った(笑)何様やねん(笑)