石園座多久蟲玉神社(龍王宮) | みー散歩~神社仏閣御朱印めぐり~

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いきなりですが
あと1日で休みだ!
そう思えば1日なんてあっと言う間に過ぎるだろう。。
そう思っていたのですが
長いな~爆笑アセアセ
まぁ、頑張るしかない筋肉
シフトの休みを後半に持っていったから、後は楽ちんな筈ルンルン
基本、好きな物は最後に残すタイプな
こんにちは味醂です真顔キラキラ{真ん中っ子なのに末っ子気質✨
 
 
さて、こちらは
急に思いついて帰る方向とは逆でしたが今年の干支繋がりで
別称を龍王宮🐉と言う
石園坐多久蟲玉神社
(いわぞのにいますたくむしたまじんじゃ)
です真顔キラキラ
なっが!
そんな長い社名が味醂を刺激しまくりましてワクワクルンルンルンルン
下矢印鳥居⛩️下矢印 

あれ??
想像していた様なthe古社!
って感じでは有りませんでした爆笑
けど、
駅から近いし辰年って事も関係してるなか結構参拝されてる方が多かったです←私もその1人です😁
 
鳥居下の門松も素敵ルンルン
 
下矢印社標下矢印
やっぱり社名
なっが!
好き🐉💕
 
下矢印由緒記下矢印
雲行きが怪しくなって太陽が隠れちゃったので良く読めぬガーン
 
下矢印石碑下矢印
静御前ゆかりの地?
なんとなっびっくり電球
 
由緒記は読めませんでしたがこちらの案内板は良く読めましたので
~由緒~
創建年は不詳ですが『三代実録』には859年1月27日には従五位上に昇叙と記載の有る神社。
石園坐多久蟲玉神社(龍王宮)は延喜式神名帳に「石園坐多久豆玉神社」と記されています。
関係氏族は賀茂氏秦氏。
かつてこの辺一帯が礒野領でした。
これより600m行くと、静御前の母礒野禅尼の故郷である礒野村です。
白拍子となった静御前は、源義経に見初められ、やがて頼朝に追われる身となります。
囚われ鎌倉に送られた静御前は頼朝の妻の政子の情けにより京に戻る事が出来ましたが、心身疲れ果て病に罹り、母の故郷に戻って来ます。
静御前が病気平癒を祈った「笠神の社」の明神さんは現在、この社に移され祀られています。
静御前の墓は塚址として磯野に残っている。
by、上記案内より
 
下矢印句碑下矢印
~朝月の草にちちろの夜が残る~
笹岡龍杜子さんの作だそうです。
 
さて、お詣り~歩く
下矢印手水舎龍下矢印
手を浄めさせて頂きましてパーキラキラ
 
周辺を見渡すとキョロキョロ電球
下矢印百度石下矢印
 
下矢印拝殿下矢印
良い子に順番を待つ真顔キラキラ
御祭神は
建玉依比古命
建玉依比賣命
配祀
豊玉比古命
豊玉比賣命
なるほど電球
配祀に豊玉比古&比売が祀られているから別称が龍王宮なんですね~虫めがね
主祭神の二神は八咫烏の御子神さんですキラキラ
 
なんか調べていたら面白い記事を発見しました!!
神社の前の横大路を沿うように
大神神社が龍の『頭』でこちらの神社が『胴体』そして葛城の長尾神社が『尾』とする伝承が有るらしいですびっくり電球
辰年の内に全部行ってみたいですねルンルンルンルン
 
拝殿前の
下矢印狛犬さん犬キラキラ下矢印
まだお若くて歯並びの良い現代型狛犬さん指差し
 
そして拝殿脇には、とてもお世話になった
下矢印アマビエさん下矢印
 
下矢印本殿下矢印
本殿脇には安寧天皇浮孔宮跡の石碑が建っているそうです。
かつてこの地に片塩浮孔宮が有ったとされる伝承が残っています。
 
さて、そんな境内には神様スペースが有りましたよ神社
扁額には
下矢印多久蟲玉神社下矢印
玉垣に囲まれた中には
五社の摂末社が並んでいました神社
 下矢印狛犬さん犬キラキラ下矢印
吽形の狛犬さん、怒ってるのか??
目が逆三角形だわ爆笑ハッ
 
向って右から
下矢印稲荷社下矢印
ご祭神は
宇迦魂大神
 
下矢印恵比須神社下矢印
ご祭神は
恵比須大神
 
下矢印白龍社下矢印
ご祭神は
白永大神
 
そして社には静御前の絵も飾られています
由緒にも有ったコチラが
下矢印笠神明神&祖霊社下矢印
ご祭神は
笠神明神
下矢印金刀毘羅宮下矢印
ご祭神は
大己貴命
でした
 
最後に授与所ですが人が多すぎて画像はなし~お願い
授与所には沢山の方が並んでいましたが御朱印メインの方は少なかったみたい虫めがね
そんな御朱印は書置きでしたが、辰年に頂いて嬉しい感じでした
御朱印はコチラ↓↓
てな訳でそろそろな時間になりましたので元旦のぶらり葛城寺社巡りはコレにて終了〜立ち上がる気づき
 
雨かみぞれか分からない雨も降ってきたので帰ります電車ダッシュ
味醂でしたバイバイ
 
石園座多久虫玉神社(龍王宮)
住所 奈良県大和高田市片塩町15−33
アクセス