真夜中にぼちぼちと
1月はあっちゃらこっちゃらと思い立ったらって感じで自分でも予測していなかった場所に弾丸で行っちゃってたので
記事を書くのが追い付かない
てか、何やってるのか・・・って自分でも笑っちゃうのですが
まぁ、
行ける時に行っとこう的な
日本人で日本に住んでいても、 まだまだ知らない土地が沢山有るので
色んな所に旅したい
それに
まだまだ上には上がいらっしゃる訳で私なんか序の口ですけどね
とりあえず
自分の為に記録を残す
雑にならんように気を付けよう
こんにちわ味醂です{読んで下さる方にも楽しんで頂けたら尚よし🎵
てな訳で
和歌山県は高野山の記事に戻ります
金剛峯寺を出て徒歩で目指すは
奥の院と並んで高野山の核とされる場所←ホムペからパクった。
それがコチラ
壇上伽藍(だんじょうがらん)
雪が溶けて凍ってるから
ツルツル滑る
慎重に進んで行くと大きな
手水舎
更に進んで行くと色鮮やかな
東塔
国の史跡で
中尊 尊勝仏頂
脇侍 不動明王・降三世両明王
1127年に落慶、江戸時代に一度再建されたが焼失。
現在の塔は1983年に再建されたそうです
てか、壇上伽藍の殆んどの建造物が史跡だったり国宝だったりなのです
見るもの全てが何だかデカい
雪が溶けて凍ってるからツルツル滑る~
普段使わない部位の肉🍖
否
筋肉を使いながら、そろ~りそろ~り慎重に進みます。。
三味堂
一か所ごとに説明版が有るからとても有難いですねっ
歌人である西行法師が移築したお堂で1843年の大火の後に再建されたお堂です
さすらいの歌人と呼ばれた西行法師は鳥羽上皇に仕えていた佐藤義清という名の武士でしたが23歳で出家したんだそうです。
石と合体した歌碑
雪が屋根に少しだけ残っていました
雨どいから冷たい水が落ちてきて首筋に入って
ひゃ~~~っ
ってなった
かなり古そうなお堂は建築された正確な年代は分からないらしい
高野山でもそんなこと有るんですね~
色々と調査した所、仏壇の勾欄とか羽目板の感じから鎌倉時代後期の物との事です
ちなみにこちらは国宝!
中に不動明王は安置されていないのかな
御本尊が記載されていませんでした
建物が古すぎるからお引越しされているのかなぁ~
さらに進みます
まだまだ壇上伽藍は広いから半分も見れていないよっ
てか中心部がやっとこ見えてきた感じ
愛染堂
御本尊 天弓愛染明王
あっ
天に向かって弓を引いている珍しい愛染明王ですねっ
神童寺さんで見たなっ
後醍醐天皇により1334年に建設されたそうですが、こちらも1843年に再建されたとか
大火後に再建されたお堂が多いなぁ~
気になるから調べてみるの巻
1843年の大火・・・っと
天保14年、落雷による大火で伽藍全焼する
って書いてありました
どうやら西塔と不動堂は大丈夫だったみたいですねっ
やっぱり雷こえ~なっ
続きます
愛染堂の前には石塔婆の様な
丁石
どこから一町(丁)なんだろか
そんな事を考えながらも
心はソワソワと、この先の馬鹿デカいあの塔に奪われておりました
横目でチラチラ
そしてやっと中心部に到着~
スゲー!!
コチラが
根本大塔
以前来た時も大きいなとは思ったけれど
こんなに大きかったっけ
こんな大きな多宝塔を876年に建てたって凄いですよね
まだ車とかなかった時代に、しかもこんな山のてっぺんにですよっ
どれだけの費用と時間と人を費やして建てたのか想像も出来ぬっ
弘法大師が建てると決めたのが816年で完成したのが876年、大師は入定された後だったとか
ちなみに現在の塔は何度も落雷とかで焼失したそうなのですが礎石だけは残していたので1937年に再建出来たんだって
堂内は凄いよ~
御本尊 胎蔵大日如来
その周りを時計回りに四仏(阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来)が囲み
更に十六大菩薩が囲み立体曼荼羅の様になっています
日本で四番目にデカいからなんだそうです
充分デカいと思いますが・・
そういや、京都の豊国神社の隣のお寺のもデカかったな
そんな感じで
やっと中心部に到着したのですが
とりあえず今回はここまで
壇上伽藍はかなり広いので2回に分けてアップします
次回に続く・・・
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壇上伽藍
住所 和歌山県伊都郡高野町高野山152
公式HP
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