晴れた良い天気の日
ワタクシはと言いますと兵庫県は須磨に居ました
遠くに海は見えるけれど、私は山の方をテクテク~
攝津国八十八か所の霊場巡りですん
お次は
勝福寺(しょうふくじ)
参道入り口には
寺標
桜並木は少しずつ秋っぽく
アト一か月遅かったら綺麗だったかも知れない
春もきっと美しいでしょうね
石碑道標
従是勝福寺~
こう言うのって何て言うんだろう・・名称に困りますw
真っ直ぐな石段を上がると
山門
背後の緑の山と青い空が凄く綺麗で瓦がキラキラ光っていて素敵です
宗派 高野山真言宗
御本尊 聖観世音菩薩
摂津国八十八箇所第87番札所
摂津国三十三箇所第8番札所
福原西国三十三観音霊場第8番札所
摂津国三十三箇所第8番札所
福原西国三十三観音霊場第8番札所
ここにきて福原西国が
かなり気になって来たwww
この付近の札所がワリカシ重複していて、、始めとけば良かったかな。。と今更考える
いや・・良かったんだ、、手を出さないのも大事だよwww
と自分に言い聞かせる味醂
てかっ
どうでも良い事を長々書きすぎwww
こちらの御本尊はなんとっ
弘法大師が作られた一刀三礼の聖観世音菩薩です
一刀三礼とは一回彫る毎に三度礼拝するって事なんだって
どれだけ有難い御本尊なのでしょう
残念ながら、この日はご住職が不在だったので拝観できるのか確認できませんでしたが
見てみたいものですね
てな訳で
~由緒~
988年に太政大臣藤原伊尹の三男藤原英雄丸が高野山で修行中、摂津の国神撫山(現在の高取山)に出没する鬼人を法の力によって平定せよとの勅命を受け、当地に下り山麗に草庵を設け日夜修法を行い、ついに祈願退散させたことがはじまりです。
英雄丸は証楽上人と号し七堂伽藍・三十六坊の院宇を建て偉観を呈しましたが度重なる山津波や兵火によって現存するものは僅かとなってしまう。
1179年に平清盛が兵庫津の築島を建設する際に自ら人柱になったと言われている家臣の子であった松王丸が父に宛てた手紙や、
平清盛寄進と伝えられる国指定重要文化財である密教法具や幡が残っています。
by、頂いた由緒の紙から
何だか悲しいお話も有るのねん
~境内の様子~
鉢の中にはメダカさんが泳いでいました
横には休憩スペースが有りましたが撮り忘れw
本堂向かって左側には
手水処
境内や本堂等から比べたらシンプルな蛇口ひねって出るtype。
その横には古そうな祠と石仏さんが並んでいました
ぱっと見なら略、テッパンでお地蔵様と思ったのですが・・・
お・・地蔵様・・・ですか
下には沢山のダルマさんが並んでいましたです。
鐘楼
頂いた縁起の紙によると多分、位置的にここがそうだと思うんですが
地元の方々は「ハラキリ堂」とか「ハラキン堂」とかって呼ぶそうなっ
何だかおっかない話でも有るのかとよく読んでみると・・
足利尊氏が切腹しようとした場所なんだとか
あ”っでも大丈夫
間一髪のタイミングで和睦が成立したそうなので切ってないよ~
現在、四国八十八か所のミニ霊場となっている裏山一帯が昔は松岡城だったそうで、1351年に尊氏が弟の直義との戦に敗れて城に逃げ込んだんだそうです。
庫裡を撮り忘れたので境内をどうぞっ
インターフォンを鳴らすと女性の方が出てきてくださって
{今、御朱印を書ける者がいないので書いてあるものと差し替えて良いですか?
って・・
勿論良いです
お忙しいのに対応、有難うございました
そんな感じで
御朱印はコチラ↓↓
さて、本日最後の札所に向かいます
味醂でした
勝福寺
住所 兵庫県神戸市須磨区大手町9丁目1−1
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