最近、お友達との会話の中で時折登場するので気になっていた神社が神呪寺から歩いて行ける距離に有りまして
折角の涼しく歩きやすい季節だし、天気もまずまずなので
これは行かねばなるまい
ってな訳で
越木岩神社(こしきいわじんじゃ)
に行く事にしました
だが、しかし・・
神呪寺からずっと下って来たまでは良かったのですが、
やはりGOOGLE先生は一筋縄では行きませんよ
途中から階段を上ったり降りたり
更には何故か空港写真のナビに変わり
充電の減りが早くなるからやめて~
かと言って消すわけにも行かず。。
わりと苦労しましたが
何とか到着しました
ぐるぐる先生頼むぜホンマに
てか、ここで良いのよね
小さいけれど
社標
も有るし行ってみよう
ネットで見た感じより、実は静かで小さい神社なのかな
でも、逆にそれが良いのかもしれぬ
鳥居
白い鳥居をくぐると
結界が張ってある
何だかワクワクしてきました
で
結論から申しますと正面から入ってませんでした
裏の参道の静けさから一気に明るい広い参道に出てきました
参道脇の広場には
舞台
奥には
相撲の土俵
あっ思い出した
ここ、越木岩神社って赤ちゃんの泣き相撲が有名でしたね
そして
味醂、早くも悩む
参道の両脇にある
2つの手水舎
・・・
どっちを使うとか決まり事が有るのだろうか
男女別とか、行き帰りとか
分からないけど、とりあえずカボチャさんの方で
そして
うっひゃ😆💕綺麗!!
な
拝殿
御祭神は
蛭子大神
福の神
えっあっそうなん
想像していた御祭神とは違いました
~由緒~
東六甲山麓一帯の磐座群を象徴・遥拝する形で甑岩と呼ばれる霊石が存在する天然記念物の叢林に覆われた古社で、創始は600年~700年頃と推定されていて延喜式神明帳に記載のある大国主西神社が前身とされています。
1644年頃に社殿を再建、
1656年に円満寺の教順僧侶が西宮神社より蛭子大神を勧請し蛭子太神宮と称し地域の産土神として崇められています。
by、HP等から
狛犬さん
拝殿脇の岩社参道から行ってきます
綺麗に整備されてるけど、古い物も緑も残して有るから嬉しいね
鳥居
なんか池
社標には大国主西神社
と書かれていました
御祭神は
大地主大神
地鎮祭の神様、そして地震の神様
延喜式神名帳に記載の有った神社
石の社は当時のままだそうです
ここに来て、やっと私のイメージする越木岩神社の御祭神が登場~って感じ
だって、越木岩神社と言えば子授けとか安産とか
そんなイメージだったから子沢山の大国主なら分かる~って感じです
まぁ、元々は599年の推古地震の時に推古天皇が飛鳥を中心とした東西南北に祀らせた神社の一社だったのではないかって言われているそうな・・(HPの大国主西神社のページ参照)
てかっ
また、長々と書いていたら文字数オーバーで投稿できなくなるから次行きますっ
鳥居
おおっ
大きな磐座です
前には拝殿になるのでしょうか
岩社
御祭神は
市杵島姫大神
横にはこれまた古そうな石のお社
六甲山社
ここの磐座はぐるりと回って見れるらしい
なのでぐるりと~
所々に割ろうとしたセリ矢の跡が残っています
あちゃ~
女性自身に乱暴を働いたらイケませんね
その乱暴をしたメンズの話は後程・・・。
ぐるりと・・
ほいっ
ここ注目~!!
明らか人為的
この地域で採取される花崗岩は良質で昔から古墳とか石造物に使用されていたんだって
なので甲山の東側の方の山には沢山の割られた石が転がっているんだけれど・・
江戸時代に大坂の陣で焼失した大坂城を再築する為に
やっちまったよ
磐座を削り出そうとした
池田備中守長幸の家紋
触ってもいいんだ・・・
でも、なんで全て壊されなかったのかなって思った人はコチラ
案内板
村人たちが
昔から白い龍が住む神聖な岩だから削らんでくれと散々お願いしたのにも関わらずやっちまったそうで
で、結局祟りに遭ったってお話
さて、裏の方から更に小道が続いていたのですが進入禁止っぽかったので行かなかった。。
そして
帰って来てからブログを書く参考にHPをチェックしてみると
北の磐座?
いっ行ってないぞ~い
これは再訪せねばなるまいて
これは再訪せねばなるまいて
磐座の前に戻って来て
稲荷社
向かって左が
白玉稲荷社
右が
大崎稲荷社
遥拝所
伊勢神宮の遥拝所です
お次は六甲山社の裏手の方に
甑水神社
御祭神は
そんな感じで次の場所に向かいます
味醂でした
越木岩神社
住所 兵庫県西宮市甑岩町5−4
公式HP
アクセス