誰かが待っていてくれると思えば・・・
不安で乗れなかった電車も、ここ1年で問題なく乗れるように
誰も居ない山道も登れるように
どちらも昔は大好きだった事を思い出すのです
むふっ♡
さて、、今回は
とうとう滋賀の奥の方まで来ちゃったゼ
こちらは西国三十三ヵ所の札所である
観音正寺(かんのんしょうじ)
そう・・人魚と聖徳太子の伝説が残るお寺
そして・・・
観音ねこの栗太郎ちゃん♡
が居るお寺逢えるかな~
あっ
勿論、PUさんもですよっ一番逢いたかったですよ
そんなこの日は三法灯伝承法要が営まれた為
最寄りの観光センターの前からタクシーがピストン輸送して下さいました
相乗りでのタクシーで、優しく声をかけて下さった女性の方なんか
もう絶対ベテランさんの貫録が有りました
タクシーを下りて景色を見ると・・
まるで下界を見下ろしている様で気分が良い
(すみません生意気な事言いました偉そうでスミマセン)
ほんとに綺麗で長閑な田園風景山里って感じで素敵
ずっと眺めていられそう
この景色を見る為だけに来ても良いと思えるぐらいの初夏の里の風景
どこからか蛙さんの声も聞こえてきます
鐘楼
仁王様がお出迎え
???達磨???誰っ??
なんか・・・私好きです
本堂
遠くから見るとドラゴンボー○のTシャツみたいに見える服を来ている方々は関係者さんかな
山号 繖山
宗派 天台宗系単立
御本尊 千手観音
西国三十三所第32番札所
神仏霊場巡拝の道(滋賀7番)
本堂では、とても穏やかで気持ちの良い法要を体験させていただきました
凄い伝承と、ご住職さんが一生懸命に力を注がれた話を聞かせて頂いて
とても感動してしまいました
~由緒~
605年、聖徳太子が千手観音を祀ったが開基。
伝説では聖徳太子が人魚の為に建ててあげたお寺です。
聖徳太子がこの地にやって来た時に人魚に出逢い話を聞くと
『前世が漁師で殺生を業にしていたから人魚に生まれ変わってしまい
苦しんでいる・・どうかここにお寺を建てて成仏させて下さい』
とお願いされたんだそうです。
寺にはその人魚のミイラと称するものが伝えられていたが、1993年、火災で焼失した。
山奥で水が足りなくて消火活動がなかなか出来なくて本堂は御本尊と一緒に燃えてしまった
当時の御住職様は抱えられながら茫然とその様子を見ているしかなかったんだそうです。。
現在ある木造入母屋造の本堂は平成16年に再建されたものである。
新たに造立された本尊千手観音坐像は仏師松本明慶の作。
6.3メートルの巨大な坐像はインドから輸入した23トンもの白檀を素材に作られている。
白檀は輸出禁制品であったが、観音正寺の住職が、20数回インドを訪れ、
たび重なる交渉の後、特例措置として日本への輸出が認められたものである。
火災で本堂と御本尊と人魚のミイラをなくしてしまった御住職はとても嘆かれ
二度と同じ事が起こらない様にと、この山奥で水脈を必死に見つけて井戸を掘ったんだそうです。
by、ウィキとかお寺の先生のお話とか色々。。
境内には
馬頭観音
弁天社
AT彦さんが気にしていたコレ
リンガとヨーニでしたっけ
写真撮って来てって言われたので撮りましたよ
サンスクリット語でリンガは男性器、ヨーニは女性器です
調べている時に発見した、味醂大好きな《みうらじゅん》さんの記事に掲載されていたリンガとヨーニは
もう・・某書店に陳列されている物そのまんまでした
(みうらじゅんいやら収集で検索してねん)
観音水
釈迦如来像
阿弥陀如来と釈迦如来の違いは印の結び方
お釈迦様は写真の通り禅定印
阿弥陀様は来迎印
以前、教えて頂きました
聖徳太子像
本当に素晴らしい景色
大日如来&お地蔵様~ず
北向地蔵
小さなお堂がめっさ可愛い
御神木
の裏にもかくれんぼしたお地蔵様
~境内の様子~
礼堂
護摩堂
観音霊場お砂踏み所
すっすごい!!
見る人によってはこの石が五百羅漢に見えるそうです
人魚と観音様がおられる岩はとても重くて自然のままで動かさず
ずっとここに有るとか・・・。
奥には
水かけ観音
マジ・・・素敵過ぎます
私、このお寺大好きです
遠いけれど、何度も来ちゃうかも
とても落ち着くし・・とても良い香りがするし・・景色は良いし
最っ高!!
抱きつくと御利益あるよ~