数日前の出来事。。
とても背中がポカポカする良い天気だったので
病院の定期検診の後に・・・
このまま帰るのは勿体無いな~と何気に目の前に停車したバスに乗り込み
ボーッっと外を眺めながら、ゆらゆらバスの旅(笑)
向かったのは大好きな平野区
町並みが好き{平野郷
この神社は
赤留比賣命神社(あかるびめみことじんじゃ)
この女神様のお話は何回かしたかと思います
姫島神社と、比売許曾神社ですね
この神様は・・・
~沼のほとりで一人の女性が昼寝をしていた所、突然
陰部に光がさし赤い玉が産まれた ←ビックリしたでしょうね
その玉は阿加流比売と言う美女になり
新羅の国の王子様、天之日矛と結ばれます
ですが・・・有る日、機嫌が悪かった天之日矛が阿加流比売を
酷く罵ってしまった為、破局 ←今も昔も大変です。。
阿加流比売は舟を漕いで日本の難波へ・・
それが比売許曽神社。。。~
と言う感じです(ザックリし過ぎですが)
この赤玉とは太陽の象徴であるそうです
正面鳥居
鳥居の横にずっと人懐っこく
『にゃ~ん』と鳴いているニャンコさんがいました
神様の化身かな
と思う程、ずっとここから離れずに座っている姿が印象的なニャンコさん
注連柱
手水舎
水は有りませんでしたが、井戸が有りました
拝殿(本殿)
ご祭神は
赤留比賣命
~由緒~
当社の祭神、赤留比売命は新羅(しらぎ)から来た女神で天之日矛(あめのひぼこ)の妻と伝える。
当地を開発した渡来氏族の氏神として、その創建は詳(つまびら)かではないが、
平安時代につくられた延喜式神名帳(えんぎしきしんめいちょう)に当社が記載されている。
俗に三十歩社(さんじゅうぶしゃ)と呼ばれるのは、古来から祈雨(きう)の神とされ、
室町時代の応永年間(おうえいねんかん)に干ばつがあり、僧の覚証(かくしょう)が雨乞いのため、
法華経(ほけきょう)三十部を読経し霊験を得た故事によるとか、当時の境内地の広さが三十歩であったによると伝える。
またかって住吉大社の末社であった由縁で、七月三十一日に行われる同社の例大祭「荒和大祓」(あらにごのおおはらい)に、
当地の七名家(ひちみょうけ)より桔梗(ききょう)の造花を捧げる慣例となっている。
明治三十年に背戸口町より移された境内末社、天満宮、琴平神社とともに、大正三年、杭全神社境外末社となり今日に至っている。
社殿背後の土塁(どるい)と松山池は環濠集落(かんごうしゅうらく)の名残りが見られる数少ない場所の一つである。
元々は住吉大社の末社だったんだそうです
ケレド、全く手が付けられていないと言う感じでは無く、綺麗にされている感じも有るし
狛犬さんの足も治されていたので
定期的には来られているのかも知れませんね
なので、御朱印は不明です。。
赤留比賣命神社
住所 平野区平野東2-11
アクセス 地下鉄谷町線『平野』駅より徒歩10分ぐらい