お寺で・・・ | みみぴちがってみみぴいい

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昨日 とーたんのお父さんの17回忌法要が15時からあったので


私たちはお寺の本堂の横にある 待合室みたいなところにいました。


和尚さんが 14時46分になったら 黙祷しながらお祈りするって教えてくれたので


私たちも一緒に黙祷しました。




あの日以降。


そんな区切り方をするようになりましたよね。 ワタシもです。


被災したわけじゃないのに 心も時間も止まったまんまになって どうにもならない私が


まだ私自身の中にいます。





お寺でごーーんと鉦が鳴るのを聞きながら、黙祷しました。


義父様は 二番目の孫が生まれて一ヵ月後に亡くなったそうです。


だから 甥っ子いわく 俺とじぃちゃんは同じ年。 なんだそうです。


そして 夫がワタシと結婚したことも 子供が2人生まれたことも知らないし


待ち焦がれたらしい女の子がうちにいることも知らないんですけれど 何故か知ってる気がします。




ワタシは 義父様を知りません。


だけど家族。


みぃとぴぃにしてみたら 何の用事でお寺にいるのかさえちっとも理解できてないくらいだけど


義父様の孫。 時間の経過の中で 命が繋がったり 時代が繋がっている。





ワタシは まだまだ自分のことが優先で 子供がいて家族がいるからそれでいいじゃないかって


言い切れずにいます。


夢がある、欲もある、希望や野心や目標があるって言う自分のキモチが優先になることもあります。


それがあるから 生きてる実感がある なんて思ってしまいます。





そんな自分なんだけど 義父様の遺影の前でこして家族が生きてて 笑ってて 繋がってるのを見てたら


営みってこゆうことなのかもな って妙に納得しました。


営みを続けることが どれだけ大事なことなのかって。


大事であり 凄いことなんだって。





生きてる間。昨日一緒に過ごした人たちが一緒にいる間。


色んなキモチになるだろうし 色んなコトが起きると思うけど


そのどーーーーんなことも そかそかって笑いながら受け止めていこう。生きてるから起きるんだもん。


そう思いながら お寺を後にしました。




自分ができること やったほうがいいこと やるべきこと やりたいこと 


それが毎日一致するとは限らないんだけど それでもやり続けて行きます。




まだまだキモチを言葉にできないし 気持ちを見詰めきれてないんだけど


1年経ったんだ ということだけ 解かります。