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花見や花火大会の自粛、どう思う? ブログネタ:花見や花火大会の自粛、どう思う? 参加中
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みんな悩んでいたり ジレンマと闘っていたり もしかしたら 自分の無力さに怒ってるかしらね。



被災者の人たちや なくなった方たち対して 申し訳ないっていうような



言葉にならない気持ちを抱えて しかも 普通に暮らせている自分を責めるだけでは足りなくて



だから 言葉を駆使して 人を責めてるのかしら・・・





お前 のうのうと遊んでんじゃねーーよ 困ってる人たちがこんなにいるのに!!



って 正義の味方のふりして怒ってるのかしら。


怒りや悲しみの矛先を 地震や津波や原発や東電に向け切れないから。







なんてことを考えていたんですが それでも 自粛ってとっても受動的で どちらかというと


命令系な単語だからか 納得できてません。







花見や花火やキャンプでね 自分の暮らす場でないから 汚しても 騒いでもいいだろうって勢いの



ランチキな トンチキな連中を 追い出したいのは 誰もが同じだと思うの。




そういった人たちに向かっての 自粛 なのか それとも 単に


サクラを愛で 春を喜び  散るサクラに人生を語り  毛虫を降らせ始めたら 疎うという


例年の愛し方をする行為や 人たちの気持ちを萎えさせるような 自粛 って言葉には



どうしても 反発します。





人の言葉や 人の文章や 人の善意や 人の行動に



色々感じたり 思ったりするのは 自由だけれど それにいちいち あーだのこーだのって




いちゃもんつけてる人の 多いこと 多いこと。 



ネットやニュースコメントやツイッターだから 言いやすいのかもしれないけれど。



そしてそういう人は必ずどんな時にも登場するんだと わかってきたけれど



それでも 読んだり見たりすると 悲しくなるし 痛々しいなって思う。





なんもできない って思ってる人ってたくさんいるよね。



ワタシも思ってる。 けど それを責めたり 怒ったり 人のあら捜しなんてしちゃいかんよね。



いつか できることと出会うまで 自分のエネルギー蓄えたり



エネルギーが貯まるまで 精一杯哀しんでいたり 追悼していたり 泣いたりしていても いいと思う。







仙台出身の知人が 今の自分にはなにもできないけれど 来年友達の息子が大学受験になる。



その息子を東京の大学に来させて、自宅に居候させて 就職までみてやりたいんだ って



自分の家族を説得し始めたって聞いた。




たくさんの人への支援ではないけれど 深いなーーーって思ったし、支援の考え方を改めさせられた。



その彼は こうも言っていた。



今は 応援しかできないのが もどかしいんだけれど もどかしがりながら 仕事するしかないんだって。




誰かに発信する術のある人の意見や行動も大事だって 体感した。



そして 誰にも言わないけれど 地道に自分の方法を探してる人の想いや 行動が



すっごく熱くって 長いものだって 想像がつく。 本気って 強いと思う。



自粛とか 悲観論とかより 人の本気に触れながら 自分の本気をみっけたい。




朝から くどいのは これ 久しぶりに真夜中に1人で起きて 書いてるからです 笑