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タイムカードを押す手が 急ぐ。 帰宅の電車の中でも 走り出したいくらいだった。
冷蔵庫の中が からっぽだと わかってるのに 買い物をする時間さえ 惜しくて
あゆみは 足を速めた。
繁華街を練り歩く人々の流れは アジアの河のように幅広く のったりとうねってしている。
その隙間を すり抜けるあゆみは まるで ティンカーベルのようだった。
マンションの鍵を気ぜわしく開けると 玄関には 小さな白い塊。
『ただいまーーー!! ロマン!! ただいまーーー!!』
先週の土曜の午後 ふらりと立ち寄ったペットショップで出会った 真っ白な猫。
学生時代 ネコ派か イヌ派かと 誰もが分けたがった。
イヌ派だと自負していたし 評価もあったのに 何故か 初めて この白いネコに
心をわしづかみにされたあゆみは 店員を呼び止めた。
『クレジットカード 使えます?』
あゆみは 決して 衝動的な性格ではない。
むしろ ある程度の予想が立てられる 慎重な暮らし方が好きだ。
高校受験も 大学を見据えて選んだし 大学のゼミだって 就職を踏まえて選んだ。
就職してからの生活も 仕事に備えて 週末を送りたいと 日曜のデートは
もっぱら あゆみの部屋か 浩司の部屋にしてるくらい 無理しないのが好きである。
『一目ぼれが ネコでよかったよ。』
学生時代から交際が続いてる浩司が ぽつりと言った。
『あゆみらしからぬ このスピード決定だぜ。 男だったら 俺 捨てられてるだろ?』
『そんな 人でなしじゃないよ。 ひどいなー』
と 笑い飛ばしたが 言われてみれば 本当にそうだ と大笑いたくなった。
誰だって あるはずだわ、 カバンだったり 車だったり 洋服だったり・・・
たまたま 猫だっただけだと思うのに。
そう浩司に説明したが どうも 異論があるらしい。
『カバンも車も 一緒に寝ないだろ。 でも猫は 毎日 一緒に寝るんだ。
そのうち あゆみは 俺より 猫と暮らしてるほうが いいなんて 言い出しそう』
まるで 母親にしかられた 少年のような顔で うつむいた浩司の顔が 愛おしくて
そっと 腰に手を回した。
『人間で一番すきなのは 浩司だよ。』
『生き物っていう 大きなくくりにしたら??』
そうなると 2番だな と思ったが さすがに いえなくて 笑い出した。
夜 ベッドの中で 突然動くのを止めた浩司に どうしたの? と聞くと
『ロマンが 俺の脚のそばにいる・・・』 と 固まったまま 吹き出した浩司が呟いた。
『しかも さっき 眼が合った。。。 あいつ オスだよな?』
すっかり 陶酔感も 集中力もなくなった2人は 身体を離しながら 足元を見た。
『しっかり あゆみを悦ばせてるかどうか 見に来たのかな?』
『で 失格 って言われたんだよ』
あゆみは 裸のまま 2人の間に 真っ白な小さい塊を抱きいれた。
『寝るのは この子とのほうが 気持ちいいのよねーー確かに。』
浩司は また 叱られた子供のように 顔を崩して あゆみの胸に顔を埋めた。
『俺 ここに引っ越してくる。』
驚いて 白い塊に 体重をかけすぎた。 猫は 苦しげに ベッドから飛び降りた。
『来月 ちょうど アパートの更新だし 解約しよう。』
『突然すぎない? 相談してよ そんな大事なこと。』
『あゆみの衝動癖が 突然 乗り移ったの! 決めた。 俺 ここに住む。』
そう言うと 浩司は あゆみの腰を 引き寄せた。
さきほど 冷めかけた体温が また下腹部に集まり始める。
『ロマンに見られながらってのも 刺激的だよな』
浩司の笑顔が あまりに可愛くて あゆみは黙って 唇を合わせた。
今日は 浩司が 最初の荷物を運び入れる夜だった。
3人での生活が 始まるなんて 思いもしなかった。
このまま 近い将来 家族が増えていくのかと 想像するだけで
あゆみの胸は ピーターパンを待つ ウェンディのように 昂ぶっていた。
未来は いつだって ネバーランド