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一昨年 母方の祖母が 92歳だか 91歳だかで 亡くなりました。 正確な年齢不詳・・・
祖父母は 17年前に長男家族と さまざまな理由で別居となり 晩年は夫婦二人での生活。
叔母が近所に嫁いでいたので ほぼ毎日 身の回りのことをしてくれてたし
長男家族もしょっちゅう出入りしてたから まぁまぁ 賑やかだったみたいだけど
老人の夜は 長い。。。んだそうだ。
7時には寝てしまう祖父。
一方 さすが ワタシの祖母だけあって 宵っ張りの祖母。
祖母は 夜の静寂に包まれて 夜ごと 孤独の辛苦を味わったらしい。
それを耳にした 親思いのうちの母。 そう 彼女は長女。
毎晩 夜の八時半。 祖母にラブコールをし 一時間近く 話をするという日課を始めたのだ。
うちの母は 娘のワタシが見ていても 忙しい。
だけど 祖母へのラブコールは 出来る限り 欠かしたことがなかった母。
祖母の一日の日記を聞く。 祖母からしたら 夜 娘からの電話での話を盛り上げたくて
本を読んだり テレビを見たり 散歩したりしてる って側面もあったんだから
すごいことだったんでしょう。 生活の ハリアイとして。
皮肉屋なワタシと父は
「親離れできない年食った娘と 子離れできない年寄り」
って ずっと囁き合ってたけど それでも 微笑ましい母子だった。
戦後 ソ連に抑留されてた祖父の不在を乗り切った 祖母と二人の娘(母と叔母)。
あの三人の絆は のどかな時代のワタシには 理解できない なにかだった。
たまに 電話で 祖母の 戦争中の想い出話を聞きながら 泣いていた母。。。
電話で 母に話した内容を 拙い文章にまとめ 暇な時間を埋めていた祖母。。。
祖母の死後 母がそれを 小冊子にまとめ 兄弟や孫たちに配ってくれたけど
自分の子供たちに話しかけてるような文体で 祖母の優しさに溢れていた。
母は ラブコールする相手を失って 3年。
見送る最期の2年は 介護になったけど それでも
文字通り 子供たちに看取られながら 惜しまれながらの最期。
子供たちに愛され続けた祖母。
遺産もなにもない祖母だったけど 人として大事なものを 見せてもらったんだな
と 思い返すことが多くなったのは ワタシが母である 娘であるからでしょうか。
そのうち ワタシも 母に毎晩 ラブコールをしそうな気が・・・
親離れ 子離れって 難しいな と思いながら 電話機を眺めます。
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今日の記事は NTTに向けて?? 書いてるので
ちょっと いつもと違います・・・
我ながら 宿題をこなした 学生気分なので
読んでいただくのも 宿題出してる感覚だわ・・・
次回から いつもの くだらないブログに 戻るので ご心配なく
みみぴが どうか しちゃったかと 思うでしょ??? 大丈夫
脳みそは いつも通り 腐りかけてるわ・・・