前世はスキージャンプの選手。
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遅くまで働く友人のことを聞き、
最近考えてることをつらつら。

1年目の経験がひどすぎて、残業を憎んで生きてきた社会人生活だったけれど、前向きに「働きたい」と思う気持ちを持っている人は結構たくさんいるんだよなと思うようになった。

働きたくない人の気持ちが世間的にはクローズアップされるし、「擁護」されるけど、働きたい人の気持ちも注目されていい。前向きに働くことってめちゃくちゃいいことだし、誰にでもできることではない。

ただ、この両立が非常に難しいところ。
やっぱり働き方改革はすべきだし定時内で終われるよう生産性を上げて働くべき。フィンランドを見習え日本はまだまだ遅れている。確かにそう。俺もそう思う。

ただし、やる気のある人のやる気を削ぐようなことをしていては、GDPが今まで以上に下がりまくりますよ日本。たぶん。いや、GDPは置いとくとしても、「いきなり勤務時間だけ少なくしようとする」のはナンセンスだと言いたい。

上司のよくあるセリフ「はよ帰りや」、本当に無責任な発言だと思う。
まあ全く無配慮の人よりだいぶマシだし、良かれと思って言ってくれてる優しい上司が発する言葉だと思うので、その人自体を責めはしない。俺も過去は言ってたと思う。

問題は、なんで残業しなければならない状況に陥ってるか?という問いに対して向き合わず、目を背けてることにある。
俺もこう言われてるときは「はい」と返事しながら、「(帰れるなら帰ってるわ…)」と思っていたものだ。

ただ、こっからも考えることが延々あって。
例えば職場レベルで残業恒常化という課題があったとして、今の売上をキープしつつ稼働を下げることってまぁ難しい。
人を投入して個々の負担を下げることで見た目上はみんなの残業は減るが、人件費は新たにかかっているし部署、会社全体としては減益となっていたり。

こういうことって本当によくあって、結局それは個人の「良心」「やる気」に組織が依存して、それが普通になってしまった結果でしかない。
これにより、「良心」「やる気」が比較的少ない周りの人を苦しめたり、会社として再現性のない成功例を生んだりしてしまっているのだと思う。   

この場合、責められるべきは「比較的やる気の少ない個人」でも、「部下のやる気を引き出せない上司」でもなく、「個人のやる気に依存して会社をまわしてきた経営者」なのだろう。

じゃあ、コンサル入れて健全経営めざすぞ!
という話に、多くの場合はなるのかもしれない。

でもなんかそこには、現状ベースの解決方法しかなくて、根本的な、本質的なものとはどこかかけ離れたものになっている気がする。

個人に依存〜の流れで言うと、なんでこういうことが日本じゅうどこでも起こっているかというと、もう日本人の国民性、民族性みたいなものに最終的に起因すると思う。

組織や会社に紐づいて働く日本人。
周りとの調和を大切にして、ワンチームで臨むといえば聞こえはいいが、その和を乱す行為はNGとされることが多い。
会社(役員)から悪いイメージを持たれることを好まず、「生涯この会社で働きたいから無難にやっていこう」という思考になり、自分を殺す。
会社と契約しているから、こうなることは自明。

一方海外では(主語がでかい)、
契約時に自分の責任範囲が明確になっている。
会社・組織ではなく、仕事に個人が紐づいている。
そのため、「自分の仕事が終わったけど他の人は終わってないから手伝った方が良いかな」なんていう思考には至らない。

もちろん日本式、海外式それぞれメリットとデメリットがあるので優越をつけにくいし、一概に二分できるわけではない。

ここまで書いてきて、案の定自分で訳分からなくなってきてます笑

日本式・海外式のいいとこ取りをできたらいいけど、そのためにはどうしたら良いか?を考えていたら、またまた「そもそも論」がたくさん出てくる。

そもそも教育、福祉、自己表現、、ひいては「幸福」の基準まで。
どこを切っても、考え方が文化的に違う。
当たり前のことなんやけどね。

そんなことを悶々と考えて、あまりに大きな問いになりすぎて絶望したりしながらも、なんとかならへんかなあという気持ちで過ごしている。

そこで、最近読んだ本を紹介する。
(ええ話やったのに最終的に青汁売るCMみたいでごめんなさい)
(ええ話とは誰も言うてへん)


下地 寛也
考える人のメモの技術――手を動かして答えを出す「万能の問題解決術」
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B0B5Z49V74/ref=tmm_kin_swatch_0?ie=UTF8&qid=&sr=

自分自身、色んなことを考えては忘れ、考えては忘れ…としていた。
また、いろんなノート術の本を過去読んだが、どれも続けられなかった(根気なし)。

でもこの本に書かれていることは、単なるハウツーではなく、何のためにメモをとるのか?というところから。
とにかく気負いせず、考えたことを日々重ねていき、どこかでアウトプットして考えをまとめる。
確かにそれを繰り返すことで、「自分」が明らかになっていく感覚があるような気がする。

Yahooニュースのトップのコメントを自分の意見のように述べるより、拙くとも自分の言葉を持っていたいと感じる、今日この頃です。

なんでこんな話に。。
でもそんなことを考えたり、家事育児にバタバタしたりしているのが最近の私です。

久しぶりに友人と会うときは、
自分と向き合って現状認識しておくと、
また1歩進んだ話が出来るような気がする。

…重いな…

以上です。
晴れてよかった!

明日で、娘が産まれて3か月になる。

同時に、3か月間取得している私の育児休業も、残り2週間を切った。

この3か月間、「育休を取得して本当に良かった」と感じることばかりだったので、これを誰かに伝えない訳にはいかないと思い、この記事を書く。

 

日本では、女性に比べると男性の育休取得率が伸び悩んでいるようだが、もっともっと男性は育休を取るべきだ。

これから取ろうとしている人もまだ予定がない人も、男性でも女性でも、何かの参考にしてもらえたら嬉しい。

 

ちなみにこの記事では、育休取得に重きを置いて書くので、妻の出産やそこに至る経緯などいろいろあったことはさらっと流している。

機会があれば、またどこかで書ければと思う。

 

さて、めちゃくちゃ改めてになるが、まず私のプロフィールを。

31歳男性、関西在住。

家族…妻(同い年)、娘(3か月)の3人。妻とは2016年に結婚し今秋で5年になる。

仕事…会社員、営業職。新卒から勤めていたところから2018年に転職。

もし転職のときに考えたこととかに興味があれば、過去記事「転職した話」を参照いただければ。

 

本題「育休取得して何が良かったか」は以下の通り。

 

1.子どもの成長を日々実感できる

2.夫婦で育児ができる

3.夫婦で方針を一致させながら、今後の人生についても考えられる

 

***

 

1.子どもの成長を日々実感できる

 

我が子は、めちゃくちゃかわいい。

ここまでかわいいとは思ってなかった……想像以上。

「天使」「我が家のアイドル」という表現がぴったり。

 

そんなかわいい我が子は、産まれてからすごいスピードで成長していく。

体重もどんどん増え、1日ごとにできることが増えていく。

(妻いわく、子に比べて自分の成長のしなさがすごくて落ち込むこともあるとのこと笑)

育児は大変だし親の消耗はすごいが、そのしんどさよりもかわいい我が子の成長が何よりの楽しみになる。

 

うまく母乳を飲めるようになった。

母乳が欲しいアピールができるようになった。

げっぷを出すのがうまくなってきた。

ミルクの吐き戻しが少なくなった。

うんちがまとまって出せるようになった。

お風呂でうんちをすることが少なくなった。

夜寝てくれるようになった。

声が出せるようになった。

ものを目で追うようになった。

笑うようになった。

 

これって、毎日見ているから実感できること。

子どものこの時期の成長は本当に著しく、「人間ってすげえ」と何回思ったことか。

大切な子どものこんな素敵な成長の過程を、親が見逃すなんて本当にもったいない。

世界中の誰よりも、夫婦ふたりがその子に愛情を注いでいるのだから、その子の成長を見る権利がある。

どうか毎日の成長を楽しんで、パートナーと喜びあってほしい。

 

2.夫婦で育児ができる

 

夫が仕事に出ていると、当たり前だが日中のすべての育児は妻がすることになる。

壮絶なお産を終えたばかりの女性の身体は本当にボロボロで、ホルモンバランスも崩れてメンタルも不安定。

(恥ずかしい話、私も産後の女性の身体について知らないことが多く、妻を困らせ落胆させてしまったことがある…)

そんな中、初めての育児で不安だらけ、自分ひとりに責任がのしかかるように思うだろう。

 

いや、マジで育児ワンオペはやばい。

我が子はまだ大人しいほうだったみたいだが、それでもきつかった。

二人とも、しばらく慢性的な睡眠不足が続いた。

こんなん一人でやったら、そら産後うつになるわな…

 

特に新生児期は1時間半ごととかに授乳があって、げっぷ出させようとして格闘して、出なかったら吐き戻しに注意しないといけなくて、やっと寝付いて家事を始めたけど、その家事もままならずにぐずり出して、自分の食事や風呂や、トイレすら後回し、しかも何をやっても泣き止まない…

とかざらにある話で。

 

うちの子も小さく産まれてきたからかうまく母乳飲めず、吐き戻しがすごく多かった。

一時期、首が少し強くなって仰向けに勝手になるけど、そのときに母乳を吐き戻して溺れそうになる、ということが二度ほどあった。

これ、夜中に起こってどっちも気づかなかったらえらいことなんよな…

これがきっかけでベビーセンスを買った。(買ってよかった)

 

これが、夫婦ふたりでやるだけで負担がほぼ半分になる。

もちろん男は授乳ができないが、それ以外のことはだいたいできるので、お母さん一人でやるより遥かに余裕が生まれる。

 

何より、2人で育児を進める経験が大事だと思う。

同じ目的のために力をあわせて頑張るので、夫婦のあいだに一体感が生まれる。

結果、子どもとお母さんのさまざまなリスク回避にもつながる。

 

喜びも不安もシェアしながら、できるだけ余裕をもって育児を進めたい。

 

3.夫婦で方針を一致させながら、今後の人生についても考えられる

 

かなり具体的だが、例えばお宮参りは祖父母も一緒に行う大きなイベント。

また、我々夫婦の考えとそれぞれの祖父母の考えが違っていることもあるので、いろいろと確認しながら進めなければならない。

 

お宮参りは生後1か月に行う神事で、地域によってしきたりが違うこともしばしば。

うちは祖父母の希望もすり合わせながら、自宅に近い少し大きな神社に祈祷をお願いし、写真はフリーのカメラマンさんにも別で依頼して、たくさん写真を撮ってもらった。

 

この準備も、産着をレンタルor購入したり、祖父母との打ち合わせ、神社選びと祈祷の申し込み、カメラマンとのやりとり、レンタカーの手配などけっこうな仕事が発生した。

 

準備は少し大変だったが、結果的に本当によい記念になった。

この準備を二人で時間をかけてできることは大きいだろう。

 

お宮参りは分かりやすい例だが、育児には「夫婦で方針を一致させる」作業の繰り返しだ。

保育園選びや見学もそうだが、そういった大きなことでなくとも、日々起こるさまざまなことを二人で意思統一しながらやっていく必要がある。

 

おむつのサイズアップをいつするか?

保湿剤はこれでいいか?1日何回やる?

おむつかぶれが酷いけどどのタイミングで皮膚科に行く?

予防接種スケジュールは?どこの小児科に行く?

 

こういうことの判断って、日々子どもを見ていないとできないことが多い。

日々のようすを見て「あの子はいつもこうだから、これがいいよね」という判断。

これをお母さん任せにせず、お父さんも根拠をもって判断に加われるのが大きい。

 

この「方針を一致させる」ことは一見単純な作業、仕事のように思えるかもしれないが、貴重な「夫婦のコミュニケーション」でもある。

実際、月齢を重ねるにつれ、子どもが寝ているあいだに夫婦でゆっくりお茶する時間もでき、子どもについて話をすることもできた。

 

これは、今を乗り越えるだけためだけでなく、おのずと将来のことも考える時間になる。

 

二人の仕事をどうしていくか。

どういうライフプランでいくか、そのための資産形成は?

家、車はどうする?

 

余裕をもって育児に当たれれば、こういったことを考える時間も作れる。

なかなか週2日の休みだけでは時間は取りにくいものだ。

育休中、何もすべての時間を育児に費やす必要はない。

子どもが生まれるということは大きな人生の転換点なのだから、じっくり家族の今後について話し合っていければ、より有意義な時間が過ごせるだろう。

(とはいえ、「あれこれやらないと!考えないと!」となりすぎないように…

子どもがすくすく育ってくれているのが一番なので)

 

***

 

まとまりがなくなってきたので、このへんで。

 

結論、「男性もぜひ育休取得を!」ということに尽きる。

絶対にいい時間になるので。

 

今後、「買ってよかった育児グッズ」とか紹介できたらとも思っている。

ブログに書くのかツイッターに垂れ流すのかは分からないが、どこかで紹介したい。

 

今回は以上!ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

豊崎愛生さん4thアルバム『caravan!』を聴いた。

衝撃作にして傑作。
聴き終わったときの第一印象は「混沌」だった。
とてもよい意味で。

日常と非日常。
ネガティブとポジティブ。
幸福と皮肉。
喜怒哀楽さまざまな感情を携えながら、
混沌とした砂漠のような人生を歩む。

それはまさに、旅。

得たものも失ったものも全部背中に載せて、キャラバンは往く。
何もせずとも続くこの世界は、ともすれば身を任せてしまうだけになる。何かを試みても、うまく運ばないことも、変えられないこともある。
それでも。
自らの意志で歩こうと決め、ときには休み、ときには抗いながら日々を生きる。

そんな混沌たる人生の場面を切り取り、あらゆる表情をみせてくれるのが『caravan!』だ。

一曲一曲から、愛生さんの人としての深みや、重ねてきたものが垣間見える。
どの曲も、今の愛生さんが歌うからこそ意味があるのだろう。
彼女の人生におけるいろんな場面をごちゃまぜにして、詰め込んで。
一見まとまりがないような印象だが、聴いてみると、1枚のアルバムとして完成されていることに驚く。

愛生さんはいつも、何に対して歌うか?をある程度明確にもっていて、その方向性がさまざまであることも、今回のアルバムの楽しいところなんだと思う。

『それでも願ってしまうんだ』から、今回の旅は始まる。
誰かとの「話」が起点となり、優しく繋がっていく。
たとえ変えられなくとも、どうしようもなくても、それでも。
明けない夜はない。
愛生さんがアーティストとして繰り返し伝えてきたメッセージが、今改めて際立ち、凄みを増す。

声優としてアーティストとして、10年以上ものときを重ねた。
その間、彼女は変わっているけれど、変わってもいない。
貫いてきたことを改めて叫ぶことが、今の世の中において、なによりも強いメッセージとなる。
強固なバックボーンが説得力を生む。
だからこそ彼女は多くの人を惹きつける。

彼女の音楽はいつもそんな感じだ。
本当に格好いい人だ。

『MORNING:GLORY』。
愛生さんで朝の曲といえば『See You Tomorrow』を思い起こさせるが、この曲もまた深みがある。
2曲目から、前向きにスロースタート。

『ハニーアンドループス』で元気に踊り進む。

寂しい夜も大丈夫 または明日は繰り返す

大人の魅力があふれる『Cheers!』。
これもまた、今の愛生さんだからこそ響く歌。
旦那さん、繰り返し聴いてるのかな。

ひとりきりで味わうには大きすぎた街を、
そこで出逢った大切な人が明るく照らす。
本当に素敵な、実は見た目以上にめちゃくちゃ愛にあふれた歌だ。

旅路も半ばに差し掛かり、『ランドネ』へ。
かなり前の楽曲だが、ここにきてこんな輝きをまた放つとは、もとい、輝かせるとはさすがである。

ぼくにだってよくわからない
なぜぼくが旅に出るのか
何もしなきゃ何も起きない
ただそのことだけ

ヤマを超えたら『マイカレー』でひと休み。
日常の愛生さんが垣間見えたところで、
旅は後半へ。

『ライフコレオグラファー』。
これは、もう大好きだ。
アルバムの中心にドンと腰をすえているこの曲は、大きなものに抗う「音楽」。
『叶えたまえ』や『悲しくてやりきれない』を歌ってきたことも蘇る。

音楽とは元来、こういうものなんだと思う。
いつか、愛生さんにとっての音楽は「言語」なのだと書いたことがある。
音楽とともに生きてきた彼女にとって、ただ言葉で表すよりもメッセージを強く載せられる、表現の方法。それが音楽だと。

迎合するのが人生じゃない。
何度も言うが、格好いい人だよ。本当に。

この曲については一部を引用する気も起きないほどに、すべての歌詞にインパクトがあるし、どれも欠けてはならない。

強いて選ぶなら「解約」という表現、現代風で風刺がきいていてとても好きだなぁ。
そして最後には「胸の中の♡にサインしちゃうわ」ときた。
なんだこの名曲は!

力強い意思表示をしたところで、
『walk on Believer♪』でまた歩みを進める。

人生のスライドショー映すよ

心の地図を開けてさあ、ラストスパート。

たむらぱんさんが手がけてるのだから間違いないという絶対的な安心感で迎え入れた『TONE』。
アウトロだけのメロディが聴けるのは、どこか懐かしい気がする。

ラストを飾るのは『March for Peace』。

衝撃。

言葉が要らない。
この1曲で、混沌としたアルバムがビッシーッと締まっている。
イントロからラストまで、えげつないよ。

『March for Peace』のイントロを聴いたとき、「劇場版 豊崎愛生 第一章」のエンドロールが脳内に流れた。
イントロで、少し下を向いて微笑んでから、背中を向けて歩き出す愛生さん。
歌が始まると、スタッフロールが流れはじめる。

実は同じような妄想を1度過去にしたことがあった。
寿美菜子さんの『Piece of emotion』だ。
違う単語だが、偶然にも同じ「ピース」が曲名に入っている。
曲のコンセプトも、根底は同じだろうと思う。

Marching for Love & Peace

"Love & Peace"というフレーズは、いつからか「反骨」の象徴としての捉え方をされることも多くなったように思う。

何度も言うが本当に、本当に格好いい。

想い出の栞だけで 地図はないけど進め

日常も非日常も、
ネガティブもポジティブも、
幸福も皮肉も、
喜怒哀楽さえも。
あらゆるものがあふれるこの混沌とした世界のすべてを包み込んで、
踊り、進もう。


物語は、第二章へ。

明日が楽しみだ。