転職した話 | 前世はスキージャンプの選手。

これから書くことは極めて個人的な内容のため、このような場で公開すべきかどうか迷ったけれど、同じような立場の人やこれから仕事をする人にとって、少しでも参考になるのであれば…という想いで記すことにする。自分の人生にとっては大きな大きな出来事で、何かしらの形で残しておきたいという気持ちもある。なので、至極読みにくく雑多な文章になることを承知の上で、それでも構わないという物好きの方がいれば、寛容な心でお読みいただきたい。※ネガティブなこともたくさん書いています。苦手な方はご遠慮ください。

 

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端的に言うと、転職したという話。

私は今年30歳になる男性。結婚してもうすぐ3年になる同い年の妻がおり、彼女はアルバイトをしているが私の扶養に入っている。子供は無しで、関西で二人暮らし。

 

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書いていること。

【2013年~2017年:新卒入社直後のギャップ~異動繰り返し】

【2018年4月~転職活動開始】

【2019年3月:仕事に行けなくなった】

【2019年5月~7月:求職活動再開と内定】

 

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【2013年~2017年:新卒入社直後のギャップ~異動繰り返し】

希望していた企業に新卒入社。職種はまぁ、販売としておく。

大学時代から知っていたところで、「入りたい」と思って入った企業だった。

(ちなみに私はド文系)

入ってからしばらくは、希望の部署ではないところで勤務することが決まっており、「まぁ最初は仕方ないか…」くらいの気持ちでいた。

当時は肩書がつくことにやたら執着していて(本当に愚かだった)、いずれは昇進していけるだろう、そうすればモチベーションも上がるだろうという単純な思考でいた。

 

研修を終えて現場に配属されると、とにかく「入社前に聞いていた話と違う!」の応酬。

土日休みと聞いていたのに、現場の都合で日曜のみ。祝日は出勤。

まずこれに耐えられず、当時の先輩に相談したことを覚えている。

勤務がしんどいというよりは、説明されていたことと違ったことに対する「嘘をつかれた」というショックが大きかった。

さらに、残業代も全く支給されていないことがわかった。タイムカード切ってるのに。

ちなみに固定残業代の制度ではない。

 

元来、筋の通っていないことが大嫌いなので、直属の上司(おじいさん。超苦手だった)に納得できない旨を伝えたが、まったく意に介さない。「残業したら他の日に早く帰って、帳尻を合わせろ」とのこと。そんな制度、就労規則のどこにも書いていないが。

実際、業務が立て込んで21時を過ぎる残業もざらにあったが(定時は18時)、まったく残業代は支給されず、代わりに他の日に早く帰れることもなかった。

その実態もあったので、さらに食ってかかると、上司は「じゃあ〇〇(上長)に直接言うたらええ」と吐き捨てた。たぶん冗談だったのか、そこまではしないと高を括っていたのだろう。でも私はすでに臨戦態勢だったので、すぐにその上長の部屋へ行き、残業代未払いの旨を伝えた。

上長は実態を把握していなかったらしく困った様子で、「そういうこともあるのね…」とうつむき、直属上司と話をすることを約束した。

 

数日して、上長が話をしてくれたらしく、直属上司が少し血相を変えて話を振ってきた。

「〇〇に言うたんやな…」などと言っていた。あんたが言え言うたんやろが。

そこで提案されたのが、「じゃあ定時で帰れ」という話だった。実際、私は18時定時で帰ったことはほとんどなく、サービス残業は日常茶飯事だった。それをやめて定時の18時で帰る、遅くに予定があるときは遅く出勤する、という内容だった。残業代は絶対に出したくないらしい。なぜそんなローカルルールがまかり通るのか全く謎だったが、私は2年目には別部署に異動することが以前から決まっていたので、もう仕方ないと思い、折れた。

それ以降は、何があっても18時に帰ってやったが。

 

それでもしばらく経つとうやむやにして長時間勤務をさせようとするので、再度上長に直談判に行った。話は聞いてくれたが、私が異動するまで、労働環境が改善されることは無かった。

 

異動間近になったある日、職場のメンバーで飲み会が開催された。

ふとしたときに、私が残業代未払いについて直訴した件が話題に上がった。

 

そこで上長が放った言葉は、「ああ、あったあった。揉めた揉めた」だった。

 

あたかももう解決済みで過去のことのようにあしらったその口調を、私は一生忘れないと思う。あまりに無自覚、無責任。そのくせ「働きやすい職場大賞」みたいな賞を自治体からもらったりしているから、もう訳がわからない。

どの口が言うてんねんオブザイヤーあげます。

 

まぁ初年度はそんな感じで、翌年以降は異動を繰り返しつつ、「楽しそうな仕事だな」と思って前向きに取り組むも、残業100時間で死にかけたり、あんまりにも古めかしい体制とテキトーに人を扱うその風潮に、うんざりした。表向きはキレイな社是を謳っているから、なおいっそう質が悪い。

 

2014年に異動したところでは、仕事や環境は少しマシになり、直属上司はすごく理解のある人で休みも取りやすく、今までに比べると恵まれた環境ではあった。

それでも、謎の「土曜日自由出勤」というローカル制度のもと、自由といいながら絶対に出勤しなければならない仕事があるためサービス出勤となったり、とにかくざっくりしていて人を大切にしない風潮は根強くあった。

結婚もして少し心に余裕ができてきたころ、「やっぱりこのままではいけないな」という気持ちが募り、転職を考えるようになった。

 

思えば、私は小さい頃から割と、やりたいことをやらせてもらえる子供だった。

たぶん家のハード的な環境は恵まれていなかったほうだが、学校の勉強は少し真面目にやっていたからか、ある程度やりたいようにやれていたし、母から小言を言われることはもちろんあるが、父は大変優しく、私に対してほとんど何も口出ししなかった。

 

働き始めて少しして、実家に帰って食卓を囲みながら家族と話していたとき、

父が「すぐ辞めんなよ」と私に言った。

父が私に進路や仕事のことで何か言うのはとても珍しかったので、すごく印象に残っている。だから私は、いろんなことがあってもいわゆる「石の上にも」でしばらく頑張ってみようと思った(これが後には失敗だったのだが笑)。

あとから聞いてみると、そのころ父の職場では若い人が入ってはすぐに辞め、を繰り返していた時期で、そういった若者に嫌気が刺していたという背景があったことがわかった。

まぁそういうこともあってしばらく頑張っていたのだが、じっくり考えて出した結論なら両親も反対しないだろうし、何より自分自身の人生なのだから自分で選択したいと思い、転職に向けて動き出したのだった。

 

なお、私の応援する声優ユニット「スフィア」が3月に充電期間入りを発表。

私はそれによって鼓舞され、スフィア充電明けまでに次の進路を決めることを目標とした。

それまでは、今までのようにスフィアや豊崎さんを追うことはできないかもしれない。

でも、自分の人生においてここが踏ん張りどきだから、きっとスフィアは応援してくれるだろうと思った。

ちなみに、そのことについてWebラジオ「プラネットスフィア」にメールをしたところ、採用をしていただき、より身の引き締まる思いをしたことを覚えている。

 

【2018年4月~転職活動開始】

改めて、転職を決意した主な理由は以下のようなもの。

 

・ほとんどの業種を経験したが、やりたい仕事がない、なりたいポジションがない、なりたいと思える人がいないので、このままいても将来のビジョンが全く見えない。

・新しいことをしていこうという気概がなく、変化を嫌う極めて保守的な風土がある。

・単純に仕事が面白くない。

・年間休日が少ない。土日祝休みがいい。

・業界的にも競合他社に押されつつあり、事業規模縮小は時間の問題。にもかかわらず、それに問題意識を抱いている人が少なすぎる。

・多様な仕事を広く浅くやるので、専門的なスキルが身につかず、自分の市場価値が上がらない。

 

他にもあるにはあるが、こんなものにしておく。

ちなみに給料にはそこそこ満足していた。給与体系には不満だったが。

 

よい上司で有給休暇も取りやすかったからこそ、変に異動して余裕のない中で転職活動をするよりは、今始めようと思い立ち、開始した。

ちなみに妻とは充分に話し合った上ですべてを進めた(これはかなり重要)。

 

繁忙期業務が落ち着く4月後半に、まずは転職エージェント3社に登録。

初めての転職者に対して手厚くサポートしてくれるというエージェントに絞り、面談を行った。

具体的にはDODA(のちにdoda、パーソルキャリア)、パソナキャリア、マイナビエージェントの3社。

 

このうちパソナは、担当者が合わなかった。上から目線で、「とにかく条件はあまりこだわらずに応募してから決めればいい」などと言っていて、とりあえず決めたいという魂胆がまるわかりだった。何社か応募したが、すべて書類で落ちた。

 

マイナビエージェントは、電話面談。担当者は若くフランクで話しやすかったが、最初に私からメールを返信して以降、全く連絡がなかった。相当忙しいのか無視されているのか分からなかったが、だいぶ経ってからまた電話がきて、「迷惑メールボックスに入っていて…」などと言っていた。なんやそれ。まぁそういうこともあるやろけど…この時点であまり信頼はしていなかった。

その後も希望を伝えて求人を紹介してもらったが、あまり意図が伝わっておらず同じ説明を何回もする羽目になったため、もうあきらめた。

 

doda(パーソルキャリア)は、最も親身になってくれた担当者だった。ちなみに女性。結果的に一番長く一緒にやってくれたので、その点については感謝している。

これまでの経歴やこれからの希望についても丁寧にヒアリングしてくれ、キャリアについてのアドバイスもくれた。この担当者となら決まるかな、と思い、dodaをメインに転職活動をすることにした。

 

ただ、結果、全然決まらなかった。

まず書類選考で落ちまくる。私は未経験業種・未経験職種への転職希望で、しかも何か特筆できるスキルを持ちあわせていなかった。

他の人に言わせれば、仕事の中で得たものは必ずあるしアピールすることは可能だとか、今後のビジョンをもって現在進行形で努力していることをアピールしろということで、もちろんそんなことは分かっているつもりだ。言い訳するならば、働きながらの転職活動は相当キツかったということと、未経験業種・未経験職種に挑戦する30代間近の男性など、第二新卒のまっさらな人材に比べれば、相当何か持っていない限り優位に立てないということだ。

最終的には、doda経由だけでも40社は落ちた。10社以上は書類選考を通過し、面接に足を運んでいた。そのうち最終面接に進んだのは2社。1社目は、転職活動を始めて3か月ほど経った頃に応募したそこそこ大きな企業。転職面接の経験が乏しかった私は、最終面接でうまく表現することができず、落ちた。

2社目は転職活動をして1年半が経った苦しい時期に受けた企業で、ここは最終の社長面接でも相当な手ごたえがあった。これは自慢ではないが、あまりにうまくできたので、面接後にオフィスを出たときにガッツポーズをしたくらいだ。エージェント経由の面接は面接後にエージェントの担当者からフィードバックをしてもらえるが、その内容もとてもよく、「これはほぼいけますよ!」という期待を抱かせる話をされた。「ただ、もう一人候補者がいるので回答は少し待ってください」とのことだった。もうわかると思うが、いつまで経っても企業からの連絡は無く、待ちに待った挙句に「もう一人の候補者に決定」とのことで、不採用通知が来たのだった。エージェントに理由を聞くと、「相手のほうが若くて…」と言われ、がっくりだった。

これには私もかなりのダメージを受けた。あげてあげて落とされることほど辛いことはない。最初からダメと言ってもらったほうがマシだ。もちろん企業も少人数採用だし、正社員の採用は本当に大事なことだから…というのは分かっている。ただ、期待はさせないでほしかった。

 

この2年間は、いかに自分が社会から必要とされていないかを痛感する日々だった。

何となく学生時代を過ごしたわけではない。熱中できるものを見つけ、その中で良いと思った進路を歩んできたつもりだった。そのことに後悔はないが、もっと違う道もあったのかもしれないと思わずにはいられなかった。

 

努力が足りないことはわかっている。ただ言い訳させてもらうと、仕事を続けながら休日をつぶして面接対策を進め、上司の顔色を気にしながら平日に有休をとって面接を入れ、落ち…という日々を、間を開けながらとはいっても2年近く続けるのは、かなりの精神力を要した。かといって辞めてしまうと退路を断たれてさらに追い込まれることは自明。

私はポジティブな性格でいて、失敗すると落ち込みはするがすぐに持ち直すメンタルを持っていると自覚はしていたので、それを活かし、また「誇りをもって生きたい」というモチベーションを強くもってなんとか踏ん張っていたが、それもだんだん難しくなっていった。

 

スフィアの充電明け公演には、そういったもやもやした気持ちで参加した。

でも、何もしていなかったわけではない。できることはやったという自覚はあったし、すべてダメになったわけではない。まだこれから何とでもなる。だから、そう思える自分に誇りをもって、彼女たちのステージを見ようと思った。彼女たちに元気づけられるばかりの自分ではなく、悩んだ末に活動継続を決めた彼女たちのパワーに負けないように、自分の人生を送ろうと思ったのだった。

 

【2019年3月:仕事に行けなくなった】

 

年が明けてからは、仕事が繁忙期に向かい、転職活動にもあまり時間をかけられなくなった。

dodaは、登録している求職者が一定期間転職先を決められないでいると、自動的に担当者が外れ、自動紹介のみに「格下げ」となる。いわば「見切られる」のだ。私もdodaから突然形式的なメールが送られてきて、そこには「今後面談を希望する場合は別途ご連絡ください」みたいな、血も涙もないメッセージが綴られていた。

 

まぁ、dodaは1年近く面倒を見てくれるエージェントで、優しいほうだ。3か月でサポートを打ち切られるエージェントなんてざらにある。ただ、切られるほうは精神的にキツすぎる。切るほうも辛いだろうけど。

 

仕方なく直接応募に切り替えて転職活動を続けていたが、2月に面接に行った企業からも不採用通知が来て、正直参ってしまっていた。

一方、仕事はというとかなり忙しくなってきて、3月の最初の土曜日にめちゃくちゃハードな日があった。昼食もとれないほど顧客対応に追われ、疲弊しきった私は、帰路のバスで死んだように眠った記憶がある。

 

その翌週、私は仕事に行けなくなった。

こんな経験は初めてだったが、布団から出ることができなくなったのだ。

今思えば、転職活動と仕事のストレスのピークが同時に来たことで、精神的に参ってしまったのだろうと思う。妻には相当な心配と苦労をかけたが、本当によく支えてくれたと思う。

幸い上司は理解のある人だったので、私が受け持っていた仕事はかなり多くあったが、こちらを気遣う言葉を使いながら、休むことを了承してくれた。

 

布団から出ることはすぐにできるようになったが、仕事のことは考えられなくなった。

生まれて初めて心療内科にお世話になり、薬を処方してもらった。家の近くに評判の良い心療内科があったことは本当に幸運だったと思う。

 

とはいえ、少し気を抜くと胸のあたりがモヤモヤとして気分が沈んでしまうので、私はどうしたかというと、めちゃくちゃパワプロをした。

私は元来野球が好きでパワプロもすごく好きなゲームだが、少し前に同僚からPS4本体を譲り受け、自分でパワプロ2018を購入していた。しんどくなりそうなとき、とにかくパワプロをやった。サクセスでこんなに選手を作ったのは初めて、というほど選手を作った。大げさではなく、パワプロに救われたといってもいい。好きなことがあってよかったと本当に思ったし、PS4をくれた同僚に死ぬほど感謝した。

 

妻は私のことを気にかけ、「気分転換しておいで」と一人旅を提案してくれた。私はそれに甘えることにして、近場ではあるが京セラドームにパ・リーグの試合を観に行ったあと、大阪のホテルに泊まるなどした。普段はヘロヘロになっている3月末だが今年は時間があり、イチローの引退をこの目で見ることができた。令和の元号発表の瞬間や、春のセンバツ高校野球も見ることができた。

 

こんなに人間的な生活をしたのは何年振りだろうと思った。今までどれだけ追い込まれていたか、自分を追い込んでいたかが分かった。そして、やはり環境を変えて転職すべきだと考えた。

 

同じ職場に戻ったところで、また体調を崩してもいけないし、正直戻れる気もしなかった。退路を断ってうまくいくのか分からなかったが、こうなってしまった以上はもう辞めてしまったほうがいいだろうと、妻ともよく話をして決めた。

もう腹はくくっている。くくりすぎて腹が千切れそうなくらいに。

 

2019年4月末、私は退職した。

幸い、仲良くしてくれていた職場の同僚や先輩は心配してくれ、退職後も関係を続けている人たちはたくさんいる。ありがたいことだ。

 

【2019年5月~7月:求職活動再開と内定】

休養の成果もあって快復した私は、5月から改めて就職活動を始めた。

退職にあたり雇用保険の関係などやることがたくさんあるので、生まれて初めてハローワークに行き、手続きを進めた。

本当に老若男女様々な層の人がハローワークには集まっていて、これだけ職を探している人がいるんだと驚いた。失業にあたっての申請なども初めてのことが多く、いろいろ勉強になった。

中でも、雇用保険の手厚さには驚いた。いわゆる失業保険で前職月収の6割程度がもらえるだけでなく、早く就職すれば残りの雇用保険の期間に応じて一時金がもらえる。さらに驚いたのは、就業促進定着手当という名前で、就職後半年の収入が前職の平均月収×6か月と比べて低い場合に、その差を手当として支給してくれるという制度もある。上限や制限はあるが、ここまで手厚いとは思っていなかった。(ざっくり書いているので、利用される際はそれぞれお調べください)

 

退職後はいったんエージェント経由の就職は諦め、ハローワークで求人を探して応募するという方法に切り替えた。ハローワークはやはり求人数が段違いに多い。いろんな求人があるので取捨選択しなければならないが。

 

ただ、就職活動を再開してしばらく経っても内定が出ないので、妻のアドバイスもあり、新たに転職エージェント3社に登録することにした。大手で利用していなかったリクルートエージェントに加え、就職率の高いDYM、最近関西でも事業展開を始めたハタラクティブ(レバレジーズ)の3社。

 

実は、少し前にdodaからの直接応募で1社内定をもらっていた。しかし、内定後に回答を待ってもらっているあいだ色々調べると、口コミが相当悪かった。それだけなら自分が信じるか信じないかなのだが、面接のときの対応や会社の雰囲気と、その悪評がマッチしてしまったので、そこは辞退をした。

 

結果、エージェントに登録をしたものの、ハローワーク経由で応募していた企業に内定をもらった。7月だった。内定辞退の一件があったので、妻とは応募前に充分に企業について調べて話し合い、内定が出た場合に入社するかどうかを検討するようにしていた。以前もしていたのだが、さらに綿密に。

 

入社を決めた会社は、まだ若い企業。決め手としては以下のようなこと。

・未経験からでもきちんと育てようとしてくれている。また、その意図も教えてくれた。

・面接で評価してもらい、給与も配慮してくれた。

・面接の雰囲気がよかった。固すぎず砕けすぎずで、一緒に働くイメージが持てた。

・業務に臨むスタンスが自分の考えと合致した。

・駆け出しの企業のため、環境が整っていないことは正直に話してくれた。

一方で、この時期に入社できるのはやりがいに繋がると感じた。

・業界の平均に比べると休みが多く、残業を推奨しない。

・有休取得推奨日もあり、人を大切にしている。

・固定残業代制ではなく全額支給(非常に珍しい)。

・土日に電話を取ることもしなくていいと言ってくれた(こればかりは働いてみないと分からないが)。

 

こんなところかと思う。

実際に働いてみないと分からないが、内定後にオリエンテーションのために訪れた際も、変わらず対応してくれたので、おおかた認識は間違っていなかったのだと思う。

あとはもう入って働いてみないと分からない。

 

いずれにせよ、やっと働き口が見つかり、大いに安堵した。

この1年半は本当にきつかったが、

自分の人生の中でも非常に大きな時間になることと思う。

 

内定連絡が来た後すぐに仕事中の妻にLINEで報告すると、帰りに「内定おめでとう」と書かれたプレートの載ったケーキを買ってきてくれた。

今回、一人であれば乗り越えられなかったかもしれない。本当に感謝しかない。

 

私は「既婚だから」とか「子供がいるから」、もしくは「親の介護が」などの理由で、自分の人生を諦めたくなかった。

既婚だからやりたくない仕事でも続けろ、というのは確かに正論のようだが、結婚して子供ができた時点で自分の意志を捨てろと言われているに等しい。

まぁそんな社会やからアカン、というのは別問題として、私自身は信念を貫きたかった。

 

私のいつも考えていることとして、「常に後悔しない選択をしたい」ということがある。

長い目で見れば、振り返ったときに「ああすればよかった」という思いは絶対にあるだろう。

でも、「その時点で後悔のないように考えて選択する」ことを重ねていくことでしか、充実した人生って送れないなとも思う。

 

人生って一度きりで、もう取返しのつかないこともたくさんあるのだけど、

逆に取り返せることもまだたくさんある。

だから、今置かれている環境を憂いて何かを諦めることはできるだけしたくないし、そのために後悔しない選択をこれからも重ねていきたい。

その結果、誇れる毎日であれば良い。

誰のものさしで測られるものでもなく、自分がそう思えるように。

 

本当に長々と書いてしまい、だんだん何が言いたいかわからなくなってきたので、

このへんで終わることにする。

たぶん徐々にスフィア方面へも復帰できる気がしているので、もう少し浮上率は上がると思います。今は新生活の準備もありバタバタしているけど…

 

みなさま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。