高湿度のなかで国土のことを思っている。   | まちづくりの将来

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私たちが生きている地域社会を見つめ、これからのあり方を考えるブログにしたい。

2023年7月2日の私のブログは遷都のことだった。

北海道に住む精神科医の友人への電話から始めている。

昨日のブログを休み、2日続けるとそれ以降は書かなくなるのではないか。

そんな不安もあって、1年前のブログを読んでみた。

 

 

そこから始める。

遷都のこと。

明治時代の北海道遷都。

ロシアの脅威を意識した札幌へ首都を移すというものだったのではないか。

 

 

去年もこの時期は梅雨の真っ最中。

佐世保から東京に戻ってきたばかりだった。

不快指数が高かった。

 

 

2012年9月1日の関東大震災。

その復旧復興で遷都論が出た。

私は9月上旬に大阪遷都提案を大阪朝日新聞記事に見つけていた。

東京や横浜はもう立ち上がれない。

東京兜町の株の取引きがいつから始まるのか。

国家的機能を動かさなければならない。

関西財界からの訴えだった。

30数年ほど前のマイクロフィルムを読んでいた。

国会図書館所蔵のフィルムだった。

 

 

同じ時期に新聞紙を忘れたが、朝鮮半島の京城への遷都提案もあった。

その背景は知らない。

当時の国土イメージは日本列島だけではなかった。

朝鮮併合後であって、大陸とつないだ国土の広がりで提案されていたのか。

中国、朝鮮、日本という東アジア文化圏で考えたのか。

儒教文化圏というフレームからはそんな妄想も浮かぶ。

 

 

7月1日は能登大地震から半年。

海底が隆起し、地形も変容している。

住み続ける意志。

それが頼りの再生方策。

 

 

災害と共生する。

そんな無理な住み方、生き方が問われている。

私たちにそれができるのか。

その一方で、数字あわせのような人口8000万国家論がある。

2100年の国土人口8000万にとどめたい。

そんな遠吠えのような提案が聞こえている。

今年の1月9日に公表された民間の人口戦略会議の答申である。