5月7日(火)から始めた田村明の論文を読む会。
その3回目を6月24日に行った。
時間はいつもの時間を1時間ほど早めにし、会場は横浜市役所。
対象とした論文は岩波書店の月刊誌「世界」に書かれた「都市行政から都市経営へ~都市経営序説~」(1976年1月)(A4判で14.5枚)である。
この内容は1950年からの15年間は人口の都市集中が激しく、そのために全国の都市問題が急速に高まっていた。
この時期には中央省庁、自治体が都市政策を数多くつくりだした。
田村明の論文はそれをフォローし政府主導の都市行政(自治省の都市経営)と先駆的自治体の都市経営の違いを明らかにした。
前者は法令墨守型の都市行政であり、後者は市民の意向を踏まえた法令の活用と補強の政策を指し、暗に横浜市の革新市政(企画部門主導の非定型流動の政策運営)の重要性を指摘している。
この論文のまとめは、1970年代後半における「今後の都市経営」として、広域事業と市民と結びついた「市民経営」を提示している。
前者は交通、水道、公害等の広域処理を必要とする事業。
それは合併ではなく、問題ごとに周辺自治体との間で集合体での処理とすべきであって、その延長線上に国土経営を提起している。
後者の市民経営については、「都市のない市民はありえても、市民のない都市は存在しない」として、
自治体=市町村の意義を述べている。
市民こそが自治体の経営主体であって、都市経営の組織は「出入り自由のクラブ組織」に似ているという。
この論文を読んだ後に、議論になったのは「意識ある市民」のことだった。
市民にはいくつもの層がある。
黙って都市の状況に従っていく市民から、地域環境のあるべき姿をイメージしてコトを起こす市民までいる。
田村明は意識ある市民が大事だと存命中に語っていたという。
地域リーダーや企業等をイメージしていたのではないか。
私は佐世保市白南風町の道普請や空き地、空き家の環境整備のことを思い出していた。
させぼ山手研究会の昨年度の活動である。
坂道エリアの細街路を補修し、軽自動車が通過できるようにする。
道路行政や町内会(地域公民館)は動かない。
それどころかルール無視の犯罪者のような発言をしていた。
放置家屋や空き地問題のこと。
事故直前までの実態。
それへの対応が「ことなかれ主義」の地域社会で行われている。
コトを起こす市民の動きが佐世保のまちづくりにプラス影響を与えてほしい。
住民は高みの見物をするのではなく、せめてこの動きを「ほめる」ことだ。
そんな私のコメントに回りは共感してくれた。