細街路を整備し、空き家の庭木を伐採した。
放置家屋の崩壊をストップさせる。
空き地のハゼノキや古木を伐採している。
この半年で自発的にその行動を進めた人が二人いる。
細街路整備で自宅前から慢性病の妻を夫が病院に連れていけるようになった。
アパート改修の軽トラックが出入りできるようになった。
次のテーマは狭い街路に立った送電や電話用の電柱の移設。
一部の空き地地主はそれを了解しているので、いま少し道は広がる。
過剰繁茂の空き家や崩壊寸前家屋による環境悪化にストップがかかった。
本来はその所有者の仕事なのだが、そのように動いていない。
進んだ地域であれば、行政が介入するが、この地域の行政や町内会はそのような動きをしてこなかった。
伐採した樹木や多くの枝葉で白アリの発生を近隣住民が予告しながら傍観している。
斜面地の人口流出地域でのこと。
私には空き地空き家の所有者の権利の乱用に見える。
わかっているのに、知らないふりをしている。
この乱用は積極的なものではなく、消極的なもの。
その地域に一人で住んでいる80代半ばの老人に電話で話をした。
電話の相手は「私は何をすればいいのか」と私に問うた。
その人は空き地の花植えの肥料等をあげている。
彼らが行動する何年も前から道路や空き地の除草等もやっている。
その上で、何ができるのか。
私が言ったこと。
「助かった人たちがこの行動に反応することです。医療や環境という言葉を使わないで、『助けてもらった』と言うべきです。この二人にはお礼を言い、周りの人たちにも彼らをほめる言動をすべきです。これまで誰も何も言っていないのです」
これまで誰もしてこなかったこと。
道路は行政が作るまで待つ。
災害が起きてから、空き地空き家対策をする。
それが変わろうとしていると、自分が助かっていることを言うべき。
それに加えて、言ったのは次のこと。
「彼らを村八分にしてはいけません。町内会や行政がつくる何もしない世間体を払拭することです」
小さな善意をコミュニティの大きな流れに変える。
それが住んでいる人たちの役割。
黙って、見ているだけだとだめだ。
勇気をもってやっている人がさらに続けるようにしかけるべきだ。
何もしないで、日和見をしている人が一人でもその動きに入るようにすべき。
それで空き地や空き家のあり方が変わる。
いいまちに変化する始まりになる。
そこに住む人たちは彼らの行動を「好きでやっている」なんでご近所の人たちに思わせてはだめだ。