「あ、先生ですか。お元気ですか」
「うん、宇都宮のライトレールで大学に行く機会があって、そこであなたのことを思い出したので、電話をかけました。電話番号は変わっていなかった」
そんな携帯電話でのやりとりである。
買物の帰り道でのこと。
6月11日(火)18時過ぎ。
すぐに私の声を判別してくれた。
最初の基礎ゼミの学生の一人である。
はっきりと自分の意見をいう体格のいい女子学生だった。
リーダーシップがあって、ゼミ生をまとめてくれていた。
栃木っ子である。
2001年4月に私は作新学院大学の専任教員になった。
大学のイロハから学部教育、私の研究教育を伝えること。
それが基礎ゼミの役割だと思っていた。
このゼミは4年卒業まで続くものだった。
出会って23年になる。
就職したのか、別のことをしたのか。
卒業して19年が経っている。
この学生は私のことをどこまで知っているのか。
年賀状のやり取りはしていた。
だが、佐世保に戻った辺りから賀状を出していなかった。
風の便り以外にはこの学生のことを知らない。
今は埼玉県吉川市に住んでいるという。
夫が千葉の企業に勤めているので、千葉県に隣接する地域に住んでいる。
子どもは6年生の女の子が一人。
子育て支援のNPO活動に参加している。
自分の生活から考える姿勢は20年前と変わらない。
電話の声は明るい。
大学のことを話した。
学部生として手伝ってもらったことや大学職員のことを話題にした。
彼女にとっては大昔のことなのだろう。
思い出せないようだ。
10年ひと昔というので、ふた昔も経っている。
大学時代のことよりも、大きな課題を乗り越えたに違いない。
それでも声は20年前と同じように聞こえた。
私のこと。
佐世保から東京に戻ってきている。
母が亡くなって、東京で過ごす時間が増えた。
そんな事実を伝えた。
電話の後に、作新学院時代の学生の顔を思い出していた。
小山市の企業に紹介した学生。
本気で勤める意欲を見せてくれなかった。
そんな苦い思い出もある。
電話を切る時に、「先生の声が聞けてよかった」と言ってくれた。
これも私の歴史である。