写真整理からの記憶     | まちづくりの将来

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私たちが生きている地域社会を見つめ、これからのあり方を考えるブログにしたい。

懐かしい写真が出てきた。

背景は雪景色で数人が横並びに移っている。

阿部孝夫さん、今野修平さん。

 

 

その写真をじっと見ているうちに、徐々に思い出した。

阿部さんは北陸大学の先生で今野さんは大阪産業大学の先生だった。

場所は九州宮崎県の北部。

椎葉村、五ヶ瀬町、北川町、東郷町、日向市、延岡市等の県北地域の地域振興アドバイザー。

2泊3日ほどのアドバイスの旅だったのではないか。

 

 

全体が斜面地で西郷隆盛が西南の役の逃避行で山を登った歴史があった。

椎葉村のそば畑と道路脇にひかれたビニールの水道管等も思い出している。

雪景色は九州のスキー場。

 

 

阿部孝夫さんは自治省のキャリアで、そのしばらく後に川崎市長に就任。

法政大学に在職されていた頃、南武線内でばったり逢ったことを思い出している。

それっきりとなった。

 

 

今野修平さんは私より15年以上も上の国土計画の専門家。

港湾中心の研究者であって、独自の見解を語られる方だった。

一緒に旅をしていて、元気がいい。

握り飯の3個をペロリと平らげられるのを見て、納得していた。

昨年、ある研究所の50年史に今野さんの原稿を見た。

 

 

私を含めてどんな地域振興のアバイスをしたのか覚えていない。

その地域の出身の若山牧水の句の札を九州の実家への土産にしたことを思い出している。

 

 

時期はいつ頃だろうか。

写真ではわからない。

都市センターに在職していた頃だろうから、1990年代の半ば。

山梨総研に移籍する前だと推測している。

 

 

母の逝去や長男の結婚をきっかけに、写真の整理を始めた。

最近の写真はプリントすることは少ないが、かつてはプリントしていた。

それを記念に送り合うことが少なくなかった。

 

 

その整理を実直にしていれば、過去の記憶をまとめることができる。

だが、それをできていない。

いろんなことに関わってきたのに、多くは記憶の外においてある。

 

 

これまでの生き方がいい加減だった。

そのせいによるものだ。

 

 

写真の整理。

それで記憶が戻るわけではないが、少しだけ思い出すことができる。

だが、それは私にとっては例外であって、もったいないことだ。

反省しきりである。