軍商並立の港     | まちづくりの将来

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私たちが生きている地域社会を見つめ、これからのあり方を考えるブログにしたい。

昨日のブログはコラムテーマが決まらないことだった。

もう時間がない。

結局、コラムテーマは軍商並立の港のことにした。

佐世保港のことである。

 

 

明治16年に港湾の政府による測量が行われた。

肝付兼行と東郷平八郎が乗る測量船第二丁卯の仕事。

長崎港の10倍、横浜港の3倍の広さの港が軍港佐世保の始まりだった。

佐世保港は敗戦後に横浜港に次ぐ数の引揚港となり、その後軍港機能が排除された。

その前に5万人を超える占領軍を受入れる港となった。

あの戦艦特有の色のグレーの船の港は戦前とは変わらなかった。

 

 

新憲法は軍港を認めない。

占領軍と朝鮮動乱の軍艦等を認めても、日本にはそれを認めない。

造船や観光に港を使うことだった。

 

 

国際情勢において軍港機能を残すことになった。

その際に軍商並立港が語られた。

商とは何か。

広い概念だったと思う。

商とは造船、物流、観光という平和産業のことではなかったか。

 

 

西海国立公園の指定を受けた。

観光産業の基軸と目された。

九十九島を中心とし五島列島、平戸に広がる観光資源の確認がなされた。

リゾートブームの到来によりハウステンボスが立地。

そんな中で、国際クルーズ船の寄港が始まった。

これが商につながると思った。

 

 

ところが、新型コロナが2020年1月に横浜港発のダイヤモンドプリンセス号を直撃する事件が起きた。

それからの3年は国際クルーズ船活動が停止された.

そして、2023年5月から佐世保港にもクルーズ船が入った。

 

 

軍と商の並立。

戦後社会のなかで佐世保港の使命になった。

ある面で佐世保に住む人々にとっての矛盾のようにも見える。

軍を越える商の機能をどう作り、持続させるのか。

これからの佐世保市民の課題である。

 

 

さて、そこまでのことが書けるか。

全く自信はない。