佐世保南高のPR記事     | まちづくりの将来

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私たちが生きている地域社会を見つめ、これからのあり方を考えるブログにしたい。

マンションのポストに「掲載紙在中」の封書があった。

佐賀市内からのもの。

中には2月20日付の産経新聞朝刊が入っていた。

その23面は九州・山口総合版。

その3分の1ほど下に母校の佐世保南高校の記事があった。

 

 

「懐かしの学び舎 わが恩師」「長崎県立佐世保南高等学校」

記事は南高の歴史と歯が浮くような学校づくりをしてきたこと。

進学校であること。

それ以外に思い出の教師の実名入りの紹介があった。

 

 

記事のまわりには第4回生から22回生まで32名の名前・所属・コメントがあった。

22回生とは私たち19回生の卒業が昭和42年だから、3年後。

昭和45年の卒業者までを対象にしている。

 

 

3週間ほど前だったか。

私の携帯電話に電話が入った。

佐世保南高のPRをするから協力してほしいというものだった。

佐賀共同企画からだった。

 

 

殺し文句は私の3年の時の担任だった進藤浩邦先生を話題に出されたことだった。

2年の時に出会った。

3年で担任。

当時、独身でよく酒を飲んでおられた。

 

 

卒業後、結婚されたと聞いたが、郷里の島原に戻られて亡くなった。

長い独身は体を悪くすると言われていた。

先生の卒論を大学図書館書庫で読んでいた。

墓参りに行きたいと思いながらこれまで不義理をしていた。

 

 

協力とは一コマ2万円の掲載料の負担だった。

無事に発行されたということだ。

 

 

思い出の恩師のこと。

国語は宮崎友千代先生、進藤浩邦先生、英語では長嶺洋先生、大村康夫先生、地学の北中恒夫先生、体育の岡幹夫先生、書道の稲沢嘉孝(九豊)先生等が載っていた。

囲みのコマの名前には、19回生として私以外に書家の政池芳博、迎耕司がいる。

 

 

産経新聞の購読者がどれくらいなのか知らない。

このPRが初めてではない。

これからも何年かに1回ほど記事が出されるのではないか。

若い卒業生は多いのだから。

 

 

ともあれ少子化であり、高校生誘致の必要性は高い。

九州・山口のエリアで高校のPRをすることは大事なことだ。

それを卒業生の負担で進めるというものアイデアの1つだと思う。