母の命日 | まちづくりの将来

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私たちが生きている地域社会を見つめ、これからのあり方を考えるブログにしたい。

今日の私の歩数は699歩。

一日炬燵にいた。

ドアの外に出たのは朝刊取りと夕食の買い物だけ。

あとは食事とトイレだった。

その今日ももうすぐ終わる。

 

 

母が亡くなって、366日目が今日。

母の命日である。

 

 

病院と妹からの連絡があの日の始まりだった。

急いで母が入院している病院に行った。

歩いて15分のところなのに、タクシーを使った。

 

 

その前日、病院内で母の病室とのリモート交信があった。

1階の待合室と母の4階の病室をパソコンでつないだ。

物理的距離は40メートル程度。

それをネットでつないだ。

新型コロナの病院なりの防衛策だった。

母は動かなかった。

 

 

その翌日、私は母のベッドのそばに立った。

息がなかった。

胸元には黄色い吐しゃ物が出ていた。

 

 

あれから新しい時が打ち続けている。

母のいない時間が始まった。

真言宗の儀式による送り。

ただ、それに従った。

家族葬だと言ったのに、普通の葬儀になった。

 

 

春が来た。

初夏が来た。

盂蘭盆の8月13日が来た。

 

 

その0時過ぎに流れ星を見た。

その星を「迎え提灯」に取り込んだ。

あの瞬間のこと。

 

 

提灯の灯りは星の母の光。

8月15日の精霊船は私にとって最も大きなものだった。

あの船で帰ってもらった。

 

 

9月は東京にいた。

10月は佐世保にいた。

11月には東京にいた。

12月から今も佐世保にいる。

 

 

母がいなくなって、長男にお嫁さんが来てくれた。

1月1日に婚姻届を出したと聞いた。

37歳と28歳、

お父さんとお母さんの年の差と同じ年の差の娘さんが来てくれた。

 

 

11回の月命日の次の命日が今日だった。

母が亡くなって366日目である。