谷郷町の公民館長が自費で佐世保の応援歌を作っている。
そんなニュースが地元紙に出た。
私の友人がファックスしてくれた。
1月8日だった。
西日本新聞の12月27日。
「日本一の長さのアーケード街と街中に息づく異国の香り」
そんな見出し。
それに佐世保に愛着、自費で応援歌とある。
谷郷町といえば、私が生まれ18歳まで過ごした場所。
記事をよく読んだ。
その上で、記事に書かれている電話番号に電話。
記事の当事者が出た。
この人のお婆さんのこと。
よく知った人だった。
怖かったが優しかった。
いつも和服だった。
その旦那さんは「じっぺいさん」とよんでいた。
実平さんだったと思う。
記憶はその奥さんしかない。
私が小学生の頃。
その一帯は私のシマだった。
初夏の木の実は私のもの。
自由に取り食べていた。
でも、いつもそのおばさんに叱られていた。
なんとそのお孫さんが谷郷町の公民館長。
その上に、佐世保の応援歌を作っている。
その歌の使い方がわからないのだという。
それが記事の内容だった。
電話の相手は谷郷町の2区に住んでいる。
彼がいう場所は手にとるようにわかる。
父が町内会の会計をしていて、回覧板等を持ちまわっていた。
65年も前の光景が見えた。
うれしく、幸せな気持ちになった。
母の一周忌の記念の日の次の日。
こんな記事を読み、それだけではなく公民館長と話すことができた。
この奇遇は大事にしたい。
彼は佐世保に入って13年だという。
ゆっくり情報交換をしたい。
そんな合意ができた。