銀座4丁目から歌舞伎座の前の築地方面に歩いていくと、左側にまるでインド寺院のような変わった建物があります。これが築地の「本願寺」と聞くと、京都の東・西本願寺とあまりにもイメージが違うのでビックリします。
でも、これは京都の西本願寺が直轄する浄土真宗本願寺派の正統なお寺です。
まず、正門から本堂を見る。

そして正面全景。インド風仏塔(ストゥーパ)は左が鐘楼、右が鼓楼。

「築地本願寺は江戸時代の1617年に、西本願寺の別院として浅草近くの横山町に建立。明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名築地の由来)、1679年に再建。
堂々とした本堂、前は翼のある二頭の獅子が守る。やっぱり「本願寺」には見えません。


「現在の本堂は1934年・昭和9年の竣工。古代インド様式をモチーフとしたこの建物は、当時の法主・大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学の伊東忠太による設計である。当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、松井組(現松井建設)の施工により建築された。大理石彫刻がふんだんに用いられ、築地の街の代表的な顔である。本堂は国の重要文化財に指定されている。」

背後には立派なパイプオルガンが。

ステンドグラスも。

仏教に縁の深い動物を飾った階段。

あちこちにモダンな曲線や装飾が多用されているのは設計者のこだわり?

鐘楼側の入口、印・和と洋が見事に調和している。

入ると、意外にモダンなレトロ階段が。

こちらは鼓楼側の入口。

こちらにもレトロな階段が。これななかなか良いです。柱上部の飾りも凝っています。

この大きな灯籠は昭和10年に信者が寄進したもの。

じっくり観てみると、外観の奇抜さ?に反してしっかりと設計された昭和ヒトケタ代を代表するレトロ建築のひとつであることが実感できました。
伊藤忠太は中国・インド・トルコに3年間、建築研究の旅をしたことをがあるそうで、その体験が存分にこの建築に活かされているのでしょうね。東京都慰霊堂もこの人の作品だそうで今度、行ってみましょう。
信者でなければじっくりと見ることのない建物ですが、隠れたモダンさがあちこちにあって、なかなか良かったです。