『茂手木伸夫』 のコラム -6ページ目

1月のコラム 雑読・雑観・雑聴・雑験

雑読・雑観・雑聴・雑験

 浜矩子著「グローバル恐慌」岩波新書 700円+税。いや~面白かった。超(ちょう)よく解かった。金融危機ってそうゆうことか。ニクソン時代までさかのぼるのか。うんうん、納得。1日で読んでしまった。うん、これはお薦め。

 お薦めといえば「先生、お薦めの本を教えてください」と研修生に言われるが、マネジメントのハウツウ物などまず読まないし、ビジネス書も面白くないから読まない。本屋に行けば小説コーナーから文庫コーナーに行く。ビジネスコーナーは一番最後に行くことになるかな。

 さいきん読んだ本・・・ 

 「フロスト気質」 上下 創元推理文庫 各1100円+税 いや~こりゃ最高です。イギリスのウィングフィールドという作家のミステリー。フロストシリーズの4作目。このシリーズはすべて面白い。なんといってもフロスト警部のハチャメチャで下品で、肝心な推理は運任せで、そしてやさしいダメ男がいいのだ。

 その前に読んだ本は・・・「堀田善衛の上海日記」。堀田善衛といっても若い人はあまり知らないかな。敗戦時前後に上海にいた堀田善衛の当時の日記が、彼の没後10年にして新しく見つかった。この本には世の中の動乱というものを深く考えさせられた。

 その前は・・・「戦略の本質」 日経新聞社発行のロングセラーだ。名著「失敗の本質」の姉妹編だが、ある会社で行なっている戦略思考の研修に使う種本だ。 そして、その前はと、昨年の本屋大賞に輝いた「重力ピエロ」。若い作家、伊坂幸太郎のミステリー。今年映画になるみたいだね。でも、面白かったけどちょっと不満もあるかな。 その前は「興亡の世界史シリーズ・・・オスマン帝国500年の平和」。その前は「パラレルワールド=平行宇宙の全貌」物理学者で超ひも理論の第一人者、ミチオ・カク氏の11次元の宇宙から超空間のはなし。宇宙に興味のない人にはチンプンカンプンだけど、そのチンプンカンプンがたまらないのだな。3ヶ月かかって読了。 そして、その前は 宇江佐真理という作家の江戸時代の人情物。その間に、料理本「おつまみ横丁・もう一軒」を読み、趣味の料理に生かす。そして「ローマ人の歴史」の文庫版。32・33・34巻「迷走する帝国」を読み・・・あ~なんと脈略がない。これが最近2ヶ月に読んだ本のリスト。まったく系統というものがないね。小説から歴史物、物理学から経済評論、推理小説から江戸の人情物。自分でもあきれる雑読です。これでも最近はマンガを読まなくなったからいいものの、40代まではビックコミックとオリジナルなど週刊漫画誌がこれに加わっていた。

 でも、雑読だけではない。雑観だ。映画や芝居を見ることだけど、これも脈略がない。映画はいわゆるマイナーな名画座系専門でハリウッド物はたまにしか見ない。12月、1月に映画館に足を運んで観た映画は、タイトルだけだが、チェコの映画で喜劇仕立てだが時代に翻弄される庶民を描いた『英国王給仕人に乾杯』、スペインの怖いホラー映画『永遠の子供達』、アメリカの映画でインドのコルカタの売春街の子供達が主人公の『未来を映した子どもたち』。本当にマイナーだね。おかげでどの映画も空いていたけど。

 観るといえば、1月は狂言を観た。鑑賞したというべきかな。京都の茂山一家の狂言はわかりやすくて最高に面白い。そして、落語は、今や大人気の立川志の輔。奥さんがファンで、なにしろチケット入手が難しい。渋谷パルコでの恒例の独演会だが、私は、昔の名人を生で聞いて育ったから、どうも志の輔の芸が田舎臭く感じてならない。そういえば年末の押し詰まった時に浅草演芸場に入ってみた。久しぶりの寄席だが、世の中は落語ブームだというのに、まったく知られていないマイナーな芸人達の素晴らしい話芸を堪能した。やはり落語は寄席にかぎる。

 観る、の次は聴くだが、これもまさに雑聴だ。昨年の暮れには沖縄石垣島の三線(さんしん)奏者、川門正彦(かわじょうまさひこ)のライブを聞きにいったけど、20代の若者男女から60代まで、熱狂して踊りだす熱いライブだった。私のウォークマンの中に入っているのは、中島みゆき、チェロのヨーヨーマ、ジャズピアノのキース・ジャレット、ミスチル、ビギン、ロックのブルース・スプリングスティン、演歌の石川さゆり、田端義夫、などなど。こりゃ、分裂気味だね。このような音楽をシャッフルで聴いていたらおかしくなるよ。

 最後は雑な体験、雑験(ざっけん)だけど、昨年までの数年間は蕎麦屋めぐりがマイブームだった。江戸の蕎麦を見て、味わって、打って、と体験した。「江戸ソバリエ」の資格も取って、論文も優秀賞を頂き、雑誌の対談にも出させていただいた。最近はちょっと飽きてきて、今のマイブームは江戸の町歩き。これです。中央区の人形町から日本橋周辺、浅草の周りや元の吉原、上野、神田、深川、品川など江戸時代の町を平成の御世に訪ねる町歩き。これは面白いや。同好の志を募集してみんなで歩いたら楽しいだろうな。

 しかし、雑だね。まさに雑多。教訓なんてないね。えらそうに研修講義なんかしているけど、本人はいたって雑な人間なんです。そして、今回のコラムは、これこそ本当の雑文だね。

「ホンモノが輝く時」

「ホンモノが輝く時」

 「もてきさんは失礼ですが、お年の割には、歯がきれいですね。」と言われた。お年の割には、とは本当に失礼な話だが、私の歯は立派に正真正銘の入れ歯です。ニセモノです。子供の時から虫歯があった。歯医者にも良く通ったものだ。学生時代に機動隊と衝突して前歯が3~4本折れたという「噂(うわさ)」があるが、本人は否定も肯定もしていない。

 小学生の時に学校で見た虫歯予防の映画を覚えている。いわゆる「マンガ映画(アニメではない)」で、虫歯のバイキンを、歯を磨くことでやっつける話だが、歯磨きの良い方法は教えていなかった。中学の頃から歯磨きの方法として「ローリング法」というのを教わった。手首を回しながら上下に歯ブラシを動かす方法。歯ブラシもローリングしやすいものが多く出回っていた。このローリング法を40歳過ぎまで疑問を持たずにやっていたら、な、なんと、いつの間にか歯磨きの方法が変わっていた。縦に回転させるのではなく、横に細かく動かす方法ではないか。一大ショックだ。信じていた良い歯の磨き方が、知らない間に変わっていた。私にとって天動説から地動説への変化と同じくらいの驚愕の事件だ。ちょっと大げさだが。

 そんな変化が今起きているのかもしれない。

 いきなり歯の話から経済の話へ移らせていただくが、底の底で起きている変化は今まで正しいことと思い込んでいたものをひっくり返す力があるかもしれない。「かもしれない」などと不確定なことを言っているが、あくまでも「かもしれない」なのである。今の時点では。

 株主利益を最大追求することと、企業の持っている社会的な責任との乖離が生まれてしまった。短期的な成果を求めすぎるあまり、人間の人生サイクルと労働の報酬体系とが合わなくなっている。アダム・スミスが「労働こそすべての富の源泉」と書いてから300年。功利主義的な考えの根本は「最大多数の最大幸福の追求」(ジュレミ・ベンサム)だったはずだが。何のための経済なのか・・・  

 いかん、いけない。又、難しい話になってしまいそうだ。でも、これだけは言える。金融恐慌から2つのことが生まれる。ひとつはもっともっと富の集中が起きるだろうということ。この恐慌は競争の激化を必然的に生み出し、勝者には今以上の富が集中すること。要するに金持ち同士の競争で負けて貧乏になる金持ちも多くいるが、勝って、今よりもっともっと金持ちになる人も少ないけどいるということだ。もうひとつ生まれることは、負けた人たちが黙ってない、ということ。いまでも世界中で起きていることは富の偏在からの反抗がテロや戦争という形で現れている。日本の中でも深刻な社会不安が起こるだろう。

 さて、さて、ところで、先月のコラムに「薄い」若者が増えていると書いたら、いろいろと反響があった。その中で面白いと思ったのは「若い営業マンはすぐに用件を切り出す」という話。座ったとたんに仕事の話をし出す営業マンが増えているという。ムダ話ができない、お世辞も言えない、天気の話もできない。仕事の話しか話題がないのである。昔の営業マンは30分のうち、ムダ話で25分、用件はほんの5分、それで成果を上げていた。ムダ話や共通の話題で人間的な関係を作ってしまえば、商品は自動的に売れる。「自分を売れ」という営業の極意の言葉があるように、直接商売につながらない話題も豊富に集めて、引き出しを多くするのが営業の仕事だった。

 「共通の話題」が少なくなっているのも一因かもしれないな。昔は、「プロ野球の話」「相撲の話」で盛り上がった。いわゆる流行歌は幅広い世代で共通に知られていた。今、共通の話題ってなんだろう。世代や性別を超えた共通の話題。確かに見つからないね。でも、世間的な話題や常識的な話をたくさん持っていたような気がしたな、昔の若者は。

 今の若者は鎧の下がすぐ皮膚のようだ。皮膚の上に垢(あか)をうずたかく積んで鎧を着けたら良いと思う。垢(あか)の中身はなんだろう、雑多な知識でも良いし、生き抜く知恵でも良いし、こだわりや個性でも良い。垢(あか)は斬られても身は守れる。

 私の歯は立派な「ニセモノ」だが、金融恐慌は「ホンモノ」と「ニセモノ」をあぶりださざるを得ないだろう。「ニセモノ」のメッキがはがれる時だ。たとえば、強者を誇っていた企業が簡単に行き詰る、そのような事態が頻繁に起きる。私のコラムの読者がよく知っている業界大手の「あの企業など」もメッキがはがれるかもしれない。そして、この未曾有の経済危機は「ホンモノ」をより強く輝かすことになる。企業も、もちろん人間も、「ホンモノ」が立派に輝く時だ。

 難しい若者論

 「難しい若者論」

 先日、あるブログ読者から「最近の先生のコラム、難しくなっていますね」と言われた。たしかに、難しい話題が多くなっていた。でも、世間も社会も、経済も政治も、難しいからね。仕方がないか。


 これもまた最近のことだが、複数の会社の人事責任者から聞いた話が共通していて、しかも大変難しい話なのだ。

 ひとりの人は、「会社の若い社員の常識のなさが際立っている。知識としての常識ではなく、たとえば、開けたドアを閉めないとか、座っていた椅子を立ち上がる時に元に戻さないとか、そのような、何というか人間としての根本というか、躾(しつけ)というか、何しろ驚かされることが多い」と言う。しゃべりながら、どう表現しようかうまく言えないな、と言う表情を浮かべていた。

 もうひとり、別な会社の人事教育の担当者も表現は違うが同じようなことを言っていた。「簡単な気配りができなかったり、簡単なルールを無視したりする若者が増えている。タバコの煙を人の顔に向けて吐き出していても平気な人や、電車は降りる人が先と言うルールを守れない人が増えている気がする。又、すぐバレルとわかっているうそを平気でつく若者がいる。言葉づかいとか挨拶とかと言うよりもっと以前の問題でつまずいている。社員教育でどのように教えたらよいのだろうか。」と。大変困った顔をして話してくれた。

 

 「最近の若者は・・・」という言葉はいつの時代でも言われていた。ギリシャ時代のソクラテスやプラトンも「最近の若者は・・・」といっていたそうだ。古代アッシリアの遺跡からも「最近の若者は・・・」と書かれた出土品が見つかっているとか。いわば世代間の申し合わせみたいなものだ。私の若い時も、もちろん言われた。一番多いのが「最近の若者は自分勝手だ。」というもの。若い世代の個人主義を非難するのも共通している。「自分のことしか考えない。親や教師、先輩を大事にしない。」といって、組織優先より個人優先を非難する。これもどの時代にも共通するのではないだろうか。若い人は組織や共同体の規範を守ろうとするより新しく作り変えるという役割がある。だから、古い世代からは個人主義に見られるのだろう。いつの時代も、若者は自分勝手な部分があるものである。それはそれで良いのかも知れない。

 しかし、である。上に書いた複数の会社の人事担当者の話はちょっと違うのである。「最近の若者は・・・」でくくれないのだ。


 困ったね。どう考えたらよいのだろうか。常識だとか、社会人のマナーとか、とはちょっと違うのだよね。もっと、何というか、でも、躾(しつけ)ともちょっと違う。気遣い、気配り、それだけでもない気がする。難しいね、表現が。常識やマナーなら教えることはできるだろう。教育プログラムに入れることも可能だ。躾(しつけ)もその言葉通り躾(しつけ)ることが可能だろう。根気はいるが。社会に入ってから躾(しつけ)られた人はけっして少なくはない。

 さて、二人の人事の担当者の問題意識はすごく深い。どのような表現をしたら良いのか、なんとももどかしさがあるが、二人の危機意識だけは伝わってくる。このまま放置すれば企業の存続に少なからずの影響を与え、しいては社会的にも大きな災いが降りかかるのではないかと本気で危惧しているのである。


 若者の貧困なコミュニケーションにその因を求められるのかもしれない。たぶん、家庭の状況や親の問題もあるのだろう。また、バーチャルな世界や携帯カルチャーの影響もあるだろう。それらすべてが複合しているのだろうが。ただ単に個人主義やわがままとも違うのである。

 別な意味で最近思うことがある。人間の「薄さ」である。どうも「薄い」人間が増えているような気がする。若い人間と話していると人物の薄っぺらさが気になってしょうがない。そういえば、どこかの総理大臣も相当に薄そうだが。

 子供の頃、母親によく言われた。「漫画ばかり読んでると漢字が読めなくなるよ」と。いやはや、麻生さんも言われなかったのかな。

 昔、先輩に言われた一言、「薄い人間の周りには薄い人間が集まる。」  

 自戒しなければ。