消えてしまった老人たち
消えてしまった老人たち
唖然(あぜん)とするとはこのようなことを言うのだろうか。老人たちが忽然(こつぜん)と消えてしまった。
100才以上高齢者の行方不明の数が、毎日の報道ごとに増えている。全国で20数名とニュースが流れたら、翌日には40名超えて、次の日は57人、そして70名を超えた。この勢いでは100名突破も近いな、とワクワクする訳にもいかない、暗いニュース。
ニュースを見ながら夕食中の妻との会話
私「マジかよ。100才超えの不明者が70人か。ということは、90才代の行方
不明者はどのくらいいるのだ。」
妻「10倍は増えるんじゃない?」
私「じゃ、80才代は100倍ぐらいになっちゃうぜ。」
妻「行方不明者の老人って、資産家はいないよ。」
私「なんで、そんなことがわかるんだよ? お金持ちだっているかもしれない
じゃん。」
妻「資産家は死亡したら遺産相続の申告しなくちゃならないでしょ。だから家族
も『おじいちゃんはどこに行ったか知らない』などとは言えないのよ。」
私「なるほど、さすが会計事務所勤務だね。」
ちなみに、私の奥様は税務会計事務所勤務20数年のベテランです。
妻「だいいちネ、税務当局がちゃんと補足してますよ。
要するに、資産家の老人たちは税務署が税金を取りっぱぐれないように、
いつ死ぬか監視しているって訳ヨ。」
いろいろなものが壊れていく日本。高齢者の行方不明のニュースが象徴している現代の状況とは何だろう。何がどう壊れているのだろうか。何が違うのだろうか。
私は今まで当たり前のように国や自治体の「制度」を信じていた。日本で出生届けを出されて、戸籍制度と住民登録制度、年金や保険の制度、そして税金の制度、など制度から制度にがんじがらめになって、最後の死亡届、住民票からの抹消、戸籍からの抹消で解放される、と信じていた。でも、この制度って、最初と最後は自分以外に頼る人がいて初めて成り立つ制度なのだ。出生届けと死亡届は自分で出すことはできない。自分以外の第三者が関わって成り立つ制度なのだ。当たり前のことに、いま気がついた。
出生届はもちろん親が出す場合が多いだろうけど、すべてではない。映画「誰も知らない」のモデルになった事件では、母親も父親も子供たちの戸籍を届けなかった。ごく最近の事件である大阪の3才と1才の子供置き去り虐待死事件だって、住民票の届けはなかった。
死亡届は家族や親族が出す、これも常識だが、この常識が今は通用しない。一人で暮らしている老人がメチャクチャに増えているのだから、家族や親族以外の善意の他人が出す割合も急増しているはずだ。
もともと戸籍制度や住民票は国家や政府にとって国民を管理するのに都合がよい制度である。ローマ帝国も頻繁に国勢調査を行ってるが、その目的は兵士を徴集するために、兵役可能な人間の数を調査するためのものである。明治政府になって始まった日本の戸籍制度や住民票も兵隊を徴兵するために便利だからだし、税金を徴収するにも役に立つから作られたものである。そして、この制度というのは「家族制度」を前提としている。
家族を一つの社会的な基礎単位としてみるから、出生届と死亡届を届ける自分以外の第三者は家族であることを基本として考えているのだろう。
でも、ちょっと待てよ。家族って社会の基礎にふさわしく固いものかな。
たぶん、今回の高齢者の行方不明事例は、ここ2~3年の話しではないはずだ。10年前、いや、あるいは20年前から普通に起きていたことではないだろうか。そして、これは高齢者ばかりの問題だろうか。
違うだろう。子供から年寄りまで、全世代に渡って、死亡届を含む戸籍の届けが滞っているのではないか。
核家族化が社会的に進行してから、すでに数十年の時がたっている。生涯未婚率も上昇し続けている。熟年離婚も増えている。シングルマザーも珍しい家族形態ではない。
そして、少子化の進行、結婚できない低賃金のワーキングプア問題、貧困と格差の拡大、家族が崩壊する要因は今後ますます増えていく。
もう、社会的基礎単位として家族を考える時代は終わったのかもしれない。日本政府の社会福祉の考え方は、高齢者の介護を家族で基本的に行い、社会や行政はその補助者の役割、というものだ。この考え方は完全に時代に合っていない。ヨーロッパのように社会や行政がしっかりと高齢者をケアして、家族は暖かく見守る、そのような福祉の形態に変えなければいけない。それも早急に。
出生届や死亡届など本人にできない届けは家族以外の第三者が届けることを前提に制度を組み立てる必要がある。日本の良き伝統である家族制度を守れと、声高に叫んでいる政治家や政治勢力もあるけど、もうしょうがないだろう。ここまで家族が社会の基礎単位としての力を失ってしまっているのだから。
蕎麦好きから江戸好きへ
蕎麦好きから江戸好きへ
またまたブログの更新が滞ってしまった。書きたいことはたくさんあるのに。ワールドカップも終わったのにね。4年後だ。生きていれば4年後にブラジルでのワールドカップが見られる。
しかし、経済は一流、政治は二流と巷(ちまた)で言われていた我が国が、経済は二流、政治は三流に落ちた。落ちるスピードは速い。あっという間だ。どうも、高度経済成長とともに大人になり、右肩上がりの経済の中で生きてきたから、この落ち方に戸惑うばかりだ。
政治が三流と言うことは、次世代に向かっての戦略が描けないと言うこと。良く「成長の戦略」と言葉では言っているけど、たとえば、環境のビジネスで成長とか、介護医療のビジネスで成長とか、はっきり言って無理だと思う。この際「成長」など考えない方が良いのではないか。経済がゼロ成長でも国民の大多数が幸せに暮らせれば良いのではないだろうか。
話は変わって、夏は新蕎麦が待ち遠しい季節。あと一月(ひとつき)もすれば今年の新蕎麦が出回り始める。今年の夏は非常に暑いけど、蕎麦の成長への影響はどうなのだろうか。あれこれ考えながら蕎麦屋で「板わさ」や「吸いとろ」を肴に冷や酒を飲む。そして、この国のゆく末を考える。ついでに老いていく私のゆく末を考える。・・・暗くなるから考える対象を変えて、遠い過去、逝(い)った時代の江戸を考える。とたんに酒が進み、冷や酒の追加、ということに。
何だろう、蕎麦屋でまったりとしていると、「江戸の幸せ感」にやさしく包まれているような感覚を覚える。
「江戸の幸せ感」とは私が勝手に思っている感じなのだが、何しろ江戸の町の町人は「宵越しの銭を持たない」人たちなのだ。宵越しの銭、いわゆる貯金などしなくても何の心配もない町の暮らし。これってすごいことではないか。
きりっと角のたった蕎麦をたぐりながら江戸の町、長屋の暮らしを想像してみる。老後の心配のいらない相互扶助の共生社会。もちろん家財道具などは最低限だ。だっていつ火事で焼け出されるかわからないから、家財をため込んでも仕方がない。でも、困っている人を放っておかない人と人との結びつきの強い社会。
明治になって日本を訪れた欧米の人たちは、日本の子供たちの明るさと好奇心の強さに驚かされたという。清掃が行き届いた清潔な町と生け垣や庭がきれいな田園の農家。何より人々の聡明さと屈託のない明るさには驚嘆の声を上げている。隠れたベストセラーになっている渡辺京二氏の「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)を読むと、明治の初めに日本を訪れた外国人の驚きが伝わってくる。
たぶん、この時代、西暦1800年代の世界で、識字率が一番高い都市は江戸だったのだろう。文化や芸術が一部の特権階級や貴族のものだったのがヨーロッパだが、日本は庶民のものだった。浮世絵や俳句、歌舞伎や音曲、読本(よみほん)などは町人が創り上げた文化芸術だ。
そして、何よりも江戸時代がすごいのは、270年の長きにわたって平和だったこと。これは世界史的に見ても驚きに値するだろう。ヨーロッパの各国もオスマンのトルコなども、もちろん新大陸の南北アメリカでも戦争や先住民族の虐殺が行われていた時代に、270年間も戦争がなかった国が日本なのだ。島原の乱とか百姓一揆などもあったが、徳川時代を通じて対外的な戦争が起こらなかった。戦国時代に当時の世界で一番命中率の高い銃(火縄銃)を製作していた日本は、なんと、この武器を自ら創ることを止めてしまったのだ。武器の進歩が止まった270年間。いや、武器を進歩させなかった270年間といった方がよいだろう。
薩長政府の明治以降は100年の間に対外的な戦争を何回行ったか。台湾への出兵や韓国への出兵、日清戦争、日露戦争、第1次大戦、中国への侵略、太平洋戦争と続く明治以降の歴史と江戸時代270年間の平和。なんと対照的なことだろう。太平洋戦争で外国の人を2000万人以上殺し、日本の国民300万人も死んだ戦争を行ったのは薩摩や長州が創った近代国家日本だ。
江戸の人たちは、お国のために死ぬなど全く考えたこともないだろう。まして、国のために他国の人を殺すなどと言うことはコレッパカシも思わないだろう。江戸から明治に変わってわずか数十年でこんなに変わるなんて。
蕎麦をたぐったら蕎麦湯をもらおう。蕎麦湯を飲みながら、江戸をさらに思う。経済成長率は限りなくゼロに近い低成長でも平和で幸せな江戸の生活を思う。
今、旅行にいちばん行きたいところは、江戸の町だな。柳橋の船宿から大川(隅田川)を大桟橋まで舟をすべらし、観音様を拝んだあとは、日本堤から吉原へ・・・。あ~行きたいね。江戸へ。
楽天もユニクロも英語を社内公用語に
楽天もユニクロも英語を社内公用語に
今から40数年前、都立高校の入試で英語は100点満点だった。中学生の時はビートルズの歌詞を訳したくて、一所懸命英和辞典をめくっていた。高校に入ると英語ではなく落語に興味が移って、英語の授業をサボった。それ以来、英語にコンプレックスを持ったまま数十年、今に至る。
英語はダメだな。苦手です。でも、このニュースを見て、考えさせられた。あの楽天が会社内の公用語を英語に統一したという。それから4,5日たって、今度はユニクロが同じように英語を社内の公用語にした。両社とも社内の文書はもちろん会議や日常の会話も英語で行われるということらしい。
それを聞いた私の奥様は、「ユニクロで買い物するのに英語でするのかしら」とマジに心配していた。
楽天もユニクロも世界でビジネスを展開するのにワンステップでできる事を目的とした英語公用語なのだろう。幹部の会議だけでなく、一般の業務の会議も英語になるし、楽天の社員食堂のメニューも英語になるのだそうだ。ユニクロの柳井社長は「日本の会社が世界企業として生き残るために必要なこと」と発言しているし、国際英語能力検定(TOEIC)で700点以上の能力を求めるようだ。
ユニクロでは2年後、2012年の新卒採用者の3分の2は外国人にすると柳井社長が発表した。外国人を国籍にかかわらず日本を含めた各国の店長候補にする考えだ。
いよいよここまで来たか。英語圏の帰国子女は有利になるだろうか。私の姪はメキシコに親の転勤で3年行っていた。スペイン語は結構しゃべれるようだが、英語はどうなのだろうか。
それはともかく、英語を社内公用語にした企業は、採用や評価の時に次のような問題にぶつからないだろうか。「仕事ができるけど英語が十分でない人」と「仕事はイマイチだけど、英語の能力は高い人」。どちらが高く評価されるのだろうか。私の考えだと、たぶん後者になるのではないかな。なぜなら、英語が十分でない人は仕事の能力が高いことを表現できないが、英語能力が高い人は、自分は仕事ができることをごまかしながらアピール(表現)できるから、と考えるけど、どうだろうか。
社員の半分が外国人なら英語を共通のコミュニケーション・ツールにするのも納得がいく。というか当然の事だとも思う。その場合でも社内の日本人同士の会話が英語だとすると、どうだろうか。英語は日本人同士の会話で日本語に変わるコミュニケーション・ツールになり得るのか、どうか。
日本人同士が、TOEIC700点以上だとしても、日本語で話すと同じように英語でコミュニケーションができるのかな。
日本語の優れた特性、ひかえめな表現、一種曖昧な表現などはどうなるのだろうか。顔や目の微妙な変化を発音のニュアンスなどと一緒に読み取る、日本語らしい表現などが変化するのかな。英語には身振り、手振りや大げさな顔の表情の変化がついてくるような気がする。日本人同士が両手を広げ、肩を上げて、顔を斜めにして、唇を横に広げ、「Oh No!」と言っている図は、あまり見たくないな。
母国語で表現できることを、日常的に外国語で表現する習慣を身につけると、どのような内面的な変化が起きるのだろうか。私には経験がないからわからない。
でも、感情レベルの微妙な変化を読み取るのに苦労しそうだな、と思う。
さて、NHKのワールドカップの放送の時に流れる、テーマ音楽がある。「タマシイレボリューション」と言うらしい。これがよくわからない。女性シンガーが歌っているのだが、歌詞が全部英語に聞こえる。でもテッペンがどうしたとかタマシイがどうたらとか、日本語らしき言葉も聞こえる。日本語や英語が入り乱れて、そして、すべて英語式の発音だから、私にはすべて英語に聞こえるのだ。
ところで、1~2回、このテーマ曲を聴いて歌詞が解る人がいるのだろうか。いるのだろうな、きっと。私の奥様は解るのかな。今度聞いてみよう。
