『茂手木伸夫』 のコラム -3ページ目

クイズ国家日本

クイズ国家日本

 


 困った。実に困った。と、前回のコラムと同じ書き出しだけど、困っているのは私個人ではなく、日本の国民だとおもう。困ったものである。今の日本の首相には。




 正直のところ、せっかくの政権交代だから多少の期待感はあったけど、自分の言葉に責任を持たない政治家は批判されても仕方がない。言動がぶれるリーダー(首相)はチーム(国民)にとって迷惑この上ない。いや、それ以上に害悪だよ。




 でも、どうしちゃったのかね。最近のリーダー(首相)の質の低下現象は。派手なパフォーマンスで格差を急拡大させた変わり者の首相、「僕ちゃん、総理大臣ヤ~メタ」と言って、放り出した幼い首相、なんだか訳がわからないまま去っていった年老いた首相、漢字もろくに読めない漫画オタクの首相、そして、今度の首相だものね。困った。




 世論調査によれば内閣支持率が10%台だと報道されているけど、あの世論調査ってやつは本当に民意が反映されているのか、つねづね疑問に思っている。新聞などの報道機関によって数字に開きがかなりあるようだし、質問の仕方によっても答えが違ってくるのではないかな。



だいいち私は世論として調査されたことがない。私だけでなく、私の周りを見渡しても、世論調査を受けたと言う人はいないようだ。どこでやっているのだろう。




 ちょっと調べてみたら、無作為で電話帳から抽出した対象者に電話で聞いているらしい。昔は対面調査(訪問して玄関口で聞き取る)方式だったが、留守宅が多くて電話帳からの抽出での聞き取り調査に切り替えたのだそうだ。でも、ちょっと待てよ。NTTの電話帳に名前を出している人って、そんなに多くいるのかな。ちなみに、私は登録していない。若い人は携帯しか持っていないから電話帳など関係ないだろうし。




 質問の仕方にも問題があると言うことだ。回答が「自分の意見」ではなく「正解を探す」選択式、あるいは○×式になっているらしい。回答者も自分の意見を言うのではなく正解らしきものを答えから探して回答している、と指摘する専門家もいる。



 

 はて、と言うことは、たとえば鳩山さんを支持しますか、と質問されて、「きっと今の状況だと『支持しない』が正解だろうな」と答えるというワケか。


 なるほど、政治の問題をクイズ方式で質問することによって、自分の問題ではなく、全くの他人事として答える訳だ。




 クイズ方式で正解を求める、なんて、今の若い人と同じだな。私の研修を受講していて「先生の講義は大変ためになります。話も面白いし。でも、正解は何ですか?」と質問されたことがある。いや、1回ではない。何回か同じような質問を受けた。「それで、答えは何ですか?」と。



 たとえば「部下との飲みにケーションは効果的でない場合が多い」と講義したら「それじゃ、飲みにケーションは×(バツ)ですね」と、こんな具合だ。




 正解を○×式や選択式で求めると言うことは、解答が第3者にゆだねられると言うことだろう。自分のこととして考えるのではなく、常に他人事だ。上記の例で言えば、自分の性格や部下の性格、状況によって、飲みにケーションが効果のある場合もあるし、逆効果の場合もある。自分で自分のこととして考えなければならない。




 けっこう蔓延しているのではないだろうか。クイズ方式で正解を求めるのが。日本中がクイズ天国になっているのではないか。



マネジメントの世界では、相手は「にんげん」である。こんな複雑な存在は世の中にほかにない。それなのに正解を求めてどうする。自分の頭で考え、自分ならどうするかと考え、自分の意見に従って行動するしかないのだ。正解は自分自身だけの正解であって良いのだ。




 今、山陽地方のあるパチンコ店で接客担当を任されている人とメールを通じて意見を交換している。お店の接客レベルを上げるために毎日毎日悩みながら頑張っている。アドバイスはできるが、正解は教えられない。なぜなら、自分の頭で考えた答えしか自分自身の正解はないのだから。大事なことは、どうしたらよいか、徹底的に悩むことだろう。考えることだろう。どうしたらもっと良くなるか、どうしたら、どうしたら、と考え抜くことだろう。他人事ではない。自分自身の問題だから。




 沖縄の普天間基地の問題も、本土の人にとってはクイズと同じ他人事なのだな。きっと。
































電車の中で名刺交換をお願いされた

電車の中で名刺交換をお願いされた




 まだ、やっているのだね.このような研修を。




 昼下がりの山手線車内。

すいていたので席に腰掛け、膝の上の鞄から本を取り出し読み出そうとすると、車両の端で変な動きをしている人が目に入ってきた。人間の目は意識しなくても不自然な動きには反応するのだ。濃紺の背広にエンジのネクタイ。リクルートスタイルの青年。中腰で、座席に座っている人と何か話しているかと思うと、またすぐに移動して別な人と話している。背広姿のサラリーマンだけに話しかけているみたいだ。手に白い小さな紙を持っている。あれは名刺だな。ピンときた。名刺交換の研修だ。 




 来るなよ。頼むから。私のところに来ないでくれ。



来れば「一言(ひとこと)」言ってしまう自分のいやな性格をよく知っているから、来ないことを祈っていた。でも、彼は近づいてくる。斜め前に座っている年輩のサラリーマンに断られて、後ろを振り返った。



あ~、目が合ってしまった。残念。


彼は私の前に立ち、中腰で両手に名刺を持ち、「研修で名刺交換をしています。お名刺をいただけますか。」と抑揚のない声で、私の胸元に向かってしゃべりかけてきた。



 おい、大丈夫か。焦点の合っていない目をしている。



 「名刺は大事なものです。軽々しく知らない人と交換するものではありません。」



 言ってしまった。



黙って首を振ればよいものを、なんてお節介野郎なのだ、私は。


 でも、彼の反応には興味がある。さて、どんな切り返しがあるか。楽しみでいたが、期待は裏切られた。



 彼は無表情のまま、私の言葉が聞こえなかったように、すぐに歩き出し、別な相手を探し出した。がっかりしたけど、仕方ないな。彼の表情は疲れすぎている。生気がなかった。車両の端の優先席に座っている中年のサラリーマンに断られ、次の車両に入っていった。足取りは青年のものではない。くたびれた老人が意思のないまま歩いているようだ。




 かわいそうに。まだ、このような研修をやっているのだね。この研修はどのような効果があるのだろうか。私には、新人を多く採用し過ぎたから、数を減らしたいと思っている会社の人事の企(たくら)みにしか思えない。




 「新入社員に我慢の大切さを教える。」「世の中の厳しさを体感させる。」「根性を鍛える」など、名目はいろいろあるのだろうが、私は嫌いだな、このような研修は。電車の中の彼の姿を見ていると一層その思いが強くなる。彼は何も学んでない。学ぶ喜びなど彼の表情には、ひとかけらもない。我慢や根性は仕事の中で鍛えてくれないかな。いや、仕事の中でこそ鍛えられるものだと思うけどな。




 はて、だけどこのような研修は廃れないだろうな。「あなたの会社の社員をあなたの思い通りに考え行動できるように、この研修で変えて見せます。」と言われたら、経営者はその気になる人も多いだろう。今のままの社員たちでは会社の業績が悪くなると思っている経営者が多いのだから。確かに、社員の成長や変化を望むのは経営者として当然なことだ。私もその手伝いを仕事としている。


 でも、研修で簡単に人間を変えることなどできるのだろうか。



私の研修でも大声を出すボイスセラピーや人前でのパフォーマンス訓練なども取り入れている。でも、研修参加者の一人一人の人格を尊重して行うことに最大限の注意をしている。社員研修の限界も心得ている。研修で社員を変えることには限界がある。社員研修は必要だがあくまでも補完的なものだ。人間が成長し変化するのは仕事のなかであって、日々の仕事の中でこそ人間の持っている能力のデベロップメント(開発)ができるのだ。



研修は、その道筋を指し示すことが役割ではないだろうか。毎日の仕事をどのように変えていけば、自分自身の成長に資することになるのか、そして会社業績の向上に結びつくのか、そのことを研修で私は伝えているつもりだ。だいいち何日かの研修で人間が大きく変わることはあり得ない。マインドコントロールではないのだから。大切なことは、成長したい、学びたいという人間本来の自分自身への期待を引き出し広げることだ、と私は思っている。





 電車の中での青年の無表情な顔が目に浮かぶ。成長することは楽しいことなのに、暗い目をしている彼の姿が私には抗議の意思表示に感じられる。

































桑田真澄さんの読みたい本

桑田真澄さんの読みたい本

 困った。実に弱った。

何が、と言われても困るのだけど。まあ、ちょっと恥ずかしいけど、弱ったね。買って読みたい本があるのだ。

なら買って読めば良いじゃないかと言われれば、それはそうなのだが・・・ね。


桑田真澄さんの本、タイトルは「野球を学問する」。早稲田大学院の担当教授、平田竹男氏と対談した本だ。新潮社から1365円。読みたい。けどね、桑田真澄さんといえば、私としては憎んでも憎みきれない読売ジャイアンツ(別名ゴミ売りとも)の元エースじゃありませんか。我が阪神タイガーズが万年最下位の時に、常に巨人のエースとして、光り輝いていた桑田投手だ。タイガーズひと筋の私としてはおいそれとは買えない。


 ・・・馬鹿だね、本当に。いい加減にしろと自分に言いたい。

 で、この本だが、書評によれば、今までの野球の指導のあり方を痛烈に批判しているらしい。いわゆる「野球道」の批判だ。日本のスポーツの根本的弱点は、スポーツと体育とを混同しているところにある。スポーツを教育としてみる、そこでスポーツを通して精神的修養をめざしたり、根性を鍛える場として位置づけたりしている。だから「野球道」なんて言葉が出てくる。たとえば、先輩や指導者には絶対服従を強(し)いて、それを美しいものとして褒め称えたりする。


 アマチュア野球に限らず「体育会系」にありがちな、体罰、長時間練習、上級生の無理難題といじめ、絶対服従、そして精神主義。これらは実は、あの戦争の時の日本の軍隊のあり方と同じなんですね。特に野球は敵性スポーツ(敵国であるアメリカのスポーツ)だから、「野球道」なる日本にしか通用しない考えを戦争中に無理に創り出していたのだ。その考えが戦後65年過ぎてもまだ生き残っている。


 桑田さんは「野球道」の歴史も検証して、痛烈に批判しているそうだ。(まだ買って読んでないから書評ではそう書いてある)そして、体罰や絶対服従ではなく、新しい指導者と選手の人間的関係を創るように提言している。それには、スポーツマンシップに基づいた指導者と選手のリスペクト(尊敬)を据えるべきだと主張している。

 これは興味がある。だから読みたい。そして考えたい。


 なぜ興味があるかと言えば、実はリーマンショックの後の不況のもと、企業の中でパワハラが蔓延(まんえん)しているという。パワハラには絶対服従や言葉の暴力、中には体罰もどき(3時間直立不動の姿勢を強制したり)もあるし、いじめももちろんある。


 私が直接聞いたもので驚いたのは、パワハラをリストラの手段として使っている会社まであるのだ。憤懣(ふんまん)ものである。

 桑田さんはこの本を書くに当たって現役のプロ野球選手270名からアンケートを採った。「指導者から体罰を受けたことがあるか」の問いに、中学で45%、高校で46%。「先輩から体罰を受けたことがあるか」の問いには中学で36%、高校で51%。そして、これが一番驚くことだが、体罰について「必要である」と「時には必要である」と答えたのがなんと83%にのぼる。要するに大半が体罰を容認しているのだ。恐ろしいことだ。体罰は犯罪なのに、こんなに多数の選手が体罰容認派とは。


 体罰は遺伝するのだ。次の世代に遺伝し、連鎖する。同じように、会社の中のパワハラも遺伝して連鎖するのではないか。パワハラによる暴力的支配、乱暴な言動、あからさまな無視、いじめ、人格の破壊。パワハラを日常的に受けることによって起きる、精神的苦痛、うつ病、体調悪化、家庭の不和、そして退職。人生を破壊された人が多くいる。

 このパワハラも確かに遺伝する。自社で起きているパワハラを批判的に思っていても、乱暴な支配により管理された経験しかないと、自分が管理職になったとき、同じことをしないとは限らない。なぜなら、ほかの管理手法を知らないから、上司のまねをするしかないではないか。そして、自分の部下に、「俺も若いときにメチャクチャに言われたよ、馬鹿だ、阿呆だ、死んじまえ、なんてね。でもおかげで、根性ができたよ。」などと得意げに言って、先輩管理者と同じことをするのだ。管理的手法として、強制的な圧力で管理することを正当化していく。「我が社の伝統だ、」と。


 上司風を吹かし、脅しや嫌がらせなどを使って管理する、これは楽である。本来の管理能力が低くてもできる。我慢して従う部下だけを自分の周りに置いておけば良い。反抗し、指示に従わず、自分の頭で考える人間は、「あいつは根性無しだ、やる気がない。」などと言って遠ざければよい。


しかし、このパワハラにも繋がるような支配的管理はきわめてコストがかかる。高くつく。退職者も多く出るから常に募集の費用が掛かるし、モチベーションも低下するから、労働生産性も落ちる。非効率この上ない。

どこかで、この遺伝と連鎖を止めなければならない。そのためにどうするか。何を根本的に変えなければならないか。

 やはり桑田真澄さんが書いているように、上司と部下の関係を「リスペクト=尊敬」に変えていくこと、だろう。強制的な支配による管理を日常的に行っている管理職は、部下から尊敬されているだろうか。表面的には服従しているようでも、本当は憎まれているのではないか。この憎悪の関係から尊敬関係に変えていく。


むずかしい仕事だと思う。でも、このことに挑戦しないと会社の存続すら危なくなってしまう企業も多くあるのだ。