麻美と由美は声のする方を向いた。

 

声を上げた男は腰が抜けたように

まともに立っていられないようで

店員にしがみつくように立っていた。

 

奥から責任者らしき男が騒ぎを聞きつけて

焦ったように出てきて、

恐る恐る店の外の様子を伺いに出た。

 

間もなくして少し抑えた男の悲鳴が聞こえると、

慌ただしく戻ってきて他の店員に警察を呼ぶように叫んだ。

 

すると、一時静まり返っていた店内はざわつき始める。

 

 

「ねぇ、ちょっと本当なのかな?」

 

「あれだけ騒いでるからね・・・

本当なのかもしれない・・・」

 

不安そうに話す麻美達の様な客もいれば、

席を立って帰ろうとする客もいた。

 

 

「お客様!少々お待ちください!」

 

興奮の冷めない責任者の男が

帰ろうとする客の足を止めた。

 

「私も、まだ混乱しているのですが、

当店の前で人が・・・殺されています。

間もなく警察が到着いたしますので

お席にて少々お待ちください!」

 

「・・・殺されてる?」

 

客の一人が疑問を口にすると、

責任者の男は言ってはいけないことを

言ってしまったと気付いた。

 

そう、人が倒れているのはすぐに分かっても、

それが死んでいるのか更には殺されているなど

少し見ただけでは分かるはずもないのだ。

 

 

「く、首が・・・切られてるんだ・・・」

 

最初にそれを発見した男が震えながら言った。

店の前に首を切られた死体があるという

恐ろしい光景を想像した客達は大人しく席に戻った。

 

 

「どうしよう・・・」

 

「麻美、寿弥さんはどこで飲んでるの?」

 

「確か・・・横浜かな?」

 

「近いじゃん!迎えに来てもらいなよ!

私は家がすぐ近くだからタクシーで帰れるし安心だけど、

麻美は帰り道危ないよ。

あの人の言ってる事が本当ならまだ犯人は

近くにいるのかもしれないし」

 

「そうだよね・・・でも飲んでるから、どうかな」

 

 

寿弥は普段、

会社の帰りに急に誘われるような飲み会では

酔っぱらう程飲まなかったが、

前もって予定していた飲み会ではとことん飲む為、

既にひどく酔っぱらってしまっている可能性があるのだ。

 

「とりあえず、メールだけ入れとく」

 

麻美は期待せずに寿弥にメールを送った。

 

 

 

人が殺される・・・しかも首を切られているらしい。

かつて味わったことのない恐怖と不安が麻美を襲っていた。
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ちょうど寿弥が武弘、龍平と飲んでいる頃、

麻美も大学時代の友達の由美と食事をしていた。

 

3人が飲んでいる居酒屋とは違った、

少しお洒落なレストランだ。

 

 

話は麻美の結婚についての事で盛り上がった。

 

由美は麻美の想像以上のリアクションをして、

麻美を喜ばせた。

 

「いいなぁ~麻美はもう結婚か~。

友達の中じゃ一番だよね。

まだ相手すらいない子だっているし」

 

「私はたまたま運が良かったんだよ。

それより、由美はどうなの?」

 

「あぁ・・・私は今ケンカ中。

あの男いちいち細かくてさぁ。めんどくさいの。

私も寿弥さんみたいに年上でお兄ちゃん・・・あっ!ごめん」

 

由美は思わず口をふさいだ。

 

「ううん、気にしないで。もうその事は吹っ切れてるから」

 

麻美が優しく微笑んだ。

 

 

言ってはいけないこと。

 

それは麻美の兄の話だ。

 

 

麻美には4つ離れた兄がいた。

 

幼い頃に両親が離婚し、

母に引き取られたが母は間もなく病気で他界し、

麻美は母方の祖母に育てられた。

 

 

麻美にとって本当に心の拠り所になっていたのは、

祖母ではなく兄だった。

 

兄は本当に麻美の事を可愛がり、

面倒見の良い出来た兄だった。

兄との楽しい思い出はたくさんある。

 

 

しかし、兄が高校に入ると、

兄は別人のように変わってしまった。

 

見るからにまともではない連中が

連日兄を迎えに来ては朝、遅い時は昼まで帰る事はなかった。

そんな内に兄もまともではなくなっていた。

 

真夜中に警察に捕まり、

祖母は何度も夜中に兄を迎えに行った。

 

家に帰るなり泣く祖母を見て兄は

その場に居づらそうに部屋に戻っていくのだ。

 

ただ、この頃になってもまだ兄は麻美には優しかった。

 

外で何をしていようとも麻美や祖母に対しても怒鳴ったり、

暴力を振るうこともなかった。

 

 

 

しかし・・・あの事件が麻美と兄を引き裂いたのだ。

 

その日麻美はたまたま兄の部屋の掃除をしていると、

枕の下に薬物が隠されているのを見つけてしまった。

 

うろたえた麻美はすぐに祖母に報告し、

2人で兄の帰りを待った。

 

麻美はとことん落ちぶれた兄でも

きちんと説得すれば分かってくれるとずっと信じていた。

 

しかし、現実は違った。

 

兄は祖母に追及されると理性を失い、

祖母を殴ったのだ。

 

 

それを止めようとした麻美にも拳を振った。

倒された拍子に見た兄の顔は

もはや悪魔のような顔つきだった。

薬物に侵され、

狂った兄は祖母の手から薬物を奪って家を出て行った。

 

しばらく放心状態だった2人も

時間が経つにつれ落ち着きを取り戻した。

 

兄が帰ってきたら、

もう一度説得して警察に出頭させようと2人で決めた。

 

 

しかし、

 

兄が出ていって以来1週間程が経ってからだろうか。

 

 

ニュースに兄の名前が出た。

 

バスジャックされたバスに偶然乗り込み、

不幸にもそのバスは崖から転落して乗客1名が重症、

犯人を含めたほかの乗客も残りは全て死亡たのだ。

 

 

そこに兄の名前があった。

 

バスが炎上し、

救助等しにくい場所に転落した為

遺体は焼け焦げ身元すら分からない死を遂げたのだ。

 

 

 

 

 

「でも、本当によかったね。

天国できっとお兄さんも喜んでくれてる。

それにおばあちゃんにもウェディングドレス見せられるじゃない」

 

 

「うん、そうだよね」

 

麻美は幸せそうに微笑んだ。

 

 

 

その時、

 

 

 


「ひ、人が死んでる・・・」

 

外から入ってきた男が混乱しながら叫んだ。

 

「いやぁ・・・本当にイヤになっちまうよ」

 

話は寿弥のサラリーマン生活に関するものだった。

三人とも少し酔いも回ってきて、

空気は一気に昔の三人の空気に戻った。

 

「大体お前がサラリーマンなんて聞いた時は、

マジで爆笑しちまったぜ」

 

「本当だよ。むしろ就職したってのが奇跡だよな」

 

「だろ?あんだけ警察の世話になっといてよ」

 

「うるせぇな、お前らさっきから!

それにそれはお前も同じだろ!」

 

 

寿弥と武弘は高校、大学は別々だったが

よく授業をサボってはケンカに明け暮れ

いつしか2人は横浜の不良連中を100人以上を

引き連れる巨大な組織の中心にいた。

 

当然、警察の世話になった回数など

数えきれるはずもなく、

武弘の父親にいつも迷惑をかけてばかりいた。

 

大学に入学しても2人は相変わらずだった。

そんな2人を警察と一緒に窘めるのが龍平の役回りでもあった。

 

 

が、しかしそんな生活がある日劇的に変化した。

 

龍平の両親が亡くなったのだ。

 

 

葬式で会った龍平の姿は

初めて会った頃のいじめられっ子だった姿とすっかり重なって、

とてもじゃないが励ましや慰めの言葉など

当時の2人にはかけることは出来なかった。

 

 

その日以来、何となく3人は疎遠になり、

寿弥はボクシングに真剣に取り組んで

全国区の選手まで登りつめ、

武弘は警察官になる為に勉強をした。

 

 

「お前はどうしてたんだ?・・・この数年」

 

武弘が少し真面目な顔で聞いた。

 

少し疎遠になってしまった事が、

余計に龍平に連絡をしづらくしてしまった。

結局、葬式の日以来連絡すら取っていなかった。

 

「言いたくなかったらいいんだけど・・・・

両親は、何で亡くなったんだ?」

 

寿弥が聞きづらそうに聞くと、

龍平はグラスに入った焼酎を一口飲んで口を開いた。

 

「箱根でさ、起きたバスジャック事件って

・・・覚えてないか?」

 

小さな声で言ったが、

2人にはそれ以上の衝撃を与えたのは言うまでもない。

 

「バスジャック・・・?」

 

「覚えていなくても無理はない。

もう10年近く前の話になるからな」

 

「10年前のバスジャックってまさか・・・

崖下に転落した・・・」

 

そう言って寿弥は口を閉じた。

何かに気づいたようだ。

 

「詳しいな、トシ」

 

「あ、い、いやたまたまだよ。

何となく・・・何となく記憶にさ」

 

寿弥の慌てぶりに龍平は不思議そうな顔をしたが、

少し冷めた焼き鳥を一口食べて話を続けた。

 

 

「あの日・・・

父さんと母さんは一人息子の俺が生まれてから初めて

2人で旅行に行ったんだ。

俺が入学金免除で大学に入学できたから

その浮いた金でさ。

ニュースでバスジャックの様子を見てる時は

まだ他人事だと思った。

まさか自分の両親がそこに乗ってるなんて思わないからさ。

だから、乗客の名前が公開された時は真っ白さ」

 

それを聞いても2人は何も言えなかった。

むしろ聞かなければ良かったとさえ思った。

兄弟もなく、

親戚との付き合いも浅い龍平は結局両親が残した家に、

両親の全てが残ったその家に、一人で住むことを選んだ。

 

そんな環境の中で、

必死に勉強して科学者の道へ進んだ

龍平の気持ちや努力など分かりたくても分かれない事が

分かっていただけに何も言えなかった。

 

 

「ちょっと悪い、トイレ」

 

しばらくあった沈黙を破ったのは寿弥だった。

少しふらついた足取りでトイレに向かって、

トイレのドアを閉めると真っ先に鏡と向き合った。

 

 

 

 

「マジかよ・・・龍平の両親も・・・」

 

そう言って、鏡から目をそらした。