寿弥は色々と考え事をしていたのもあって、

病院のベッドで一睡も出来ずに翌朝を迎えた。

 

時間も時間だったので、

付き添いの麻美は簡易ベッドを借りて

隣ですっかり熟睡していた。

 

刺された傷は多少深さはあったものの、

大したケガではなく、

今日にも退院出来ると言われている。

 

あんな事があった場所に

麻美を1人で帰す気になれなかった寿弥にとっては

安心出来る話だった。

 

 

寿弥の事件を聞きつけた武弘が

病院にやってきたのは、

丁度昼になろうかという頃だった。

 

「まさか本当にこうなるとは

正直思ってなかったよ」

 

武弘の顔を見て寿弥は少しふざけたように言った。

 

「ケガが?」

 

「大したことはねえ」

 

寿弥は先に退院の手続きを済ませ、

朝、病院から仕事に行った麻美に

退院の報告メールを送って武弘の車に乗った。

 

「ウチで話すか?

今日だって別に見舞いって訳じゃないだろ?」

 

「ああ、正直な。

色々と聞きたいこともあるし、

俺もお前に話さなきゃいけない事もある」

 

車内では特に事件の事には触れず、

武弘が忙しくて最近ほとんど寝ていないことや、

寿弥の仕事の話などをした。

あえてその話題に触れようとしないことが

不自然な雰囲気だった。

 

「ここ右だ」

 

武弘が寿弥の指示通りに右に入ると

寿弥の住むマンションが見えた。

寿弥が襲われた現場を通ったが、

まだ寿弥の腕から流れ落ちた跡が

生々しく残っていた。

 

 

 


「結構いい所に住んでるんだな」

 

部屋に入るなり武弘は周りを見渡して言った。

 

「まぁ家賃はあいつと折半で払ってるからな。

ある程度の所は借りられるさ」

 

武弘はリビングに腰掛け、

寿弥はコーヒーを用意した。

 

「初めて親友の家に遊びに来たってのに・・・

いきなり本題に入ってもいいか?」

 

「ああ、そうか。お前は勤務中だもんな」

 

苦笑いをしながら武弘は

ポケットから手帳とペンを取り出し、

寿弥に淡々と質問をした。

寿弥も昨日の事でもあるし、

正確に事件の事を話した。

 

 

 

「・・・それで、

これが刺されたものなんだ」

 

寿弥がずっと気になっていた、

腕に刺されたプラスチック状の物を武弘に渡した。

 

「何だ?・・・これ」

 

一日が経過して寿弥の血が乾いて

真っ黒になっていることもあって、

より一層これが何なのか分からなくなっていた。

 

「そんなに固いもんじゃなさそうだろ?

多分力任せに曲げたら折れるぜ?

洗ってみようかと思ったんだが、

そのままにしといた方がいいような気がしてな・・・」

 

「いや・・・何となくだが、

これって・・・・爪・・・じゃねえか?」

 

武弘が手袋をした手で慎重に、

様々な角度から見て、

何度も触って感触を確かめながら言った。

 

「つ、爪・・・?」

 

長さにして約3センチ程ある、

それを爪と認めるのは厳しいものがあったが、

言われてみれば形態や感触は爪にも思えた。

 

「本当に爪だとして・・・

根元から剥がれれば犯人だって

相当な痛みを伴うはずだ・・・

それに最初っからお前を刺すつもりだったら

凶器を準備したはず。

そもそも偶然お前を見つけたとしても、

凶器がないなら刺すという選択肢はないはずだ」

 

「いや・・・

痛がる素振りはなかった・・・と思う。

むしろ堂々としてたし、

俺よりも早く追撃してきたし・・・」

 

 

 

自信なさげに寿弥がそう答えると同時に

 

井川の話が頭を過ぎった。

 

「何であんな奴に話しちゃったんですか!?

俺達が必死に集めたネタなのに!」

 

井川の部下の木田が車内で不満を言った。

 

「あいつはやばいんだよ・・・。

いいか?俺達はこういう仕事だ。

取材でやばい人間や、

組織と関わらなきゃいけない時がどうしてもある。

その時に自分の力で逃げ切れる相手と、

どうにもならない相手をきっちりと見極めないと

命取りになるってことを覚えとけ」

 

運転席の木田の顔を見ず、

真っすぐに前だけを見て井川は言った。

 

「そんな・・・

あいつ、そんなにやばいんですか?」

 

「ああ・・・。

今までヤクザや囚人、

ドラッグの売人とか様々な裏の人間を取材してきたが、

あいつ・・・石井の目が一番危ない目をしてる。

それに石井はその事を悟られないように

普段は全く別の目をすることが出来てる。

それがやばいんだ」

 

真剣な表情でそう話す井川の言葉に、

あの時調子に乗って寿弥に殴りかからないで

本当に良かったと木田は心から思っていた。

  

 

 

「ちょっと寄る所があるからここで下してくれ」

 

井川は自宅から1番近いコンビニの前を指示して、

車を降りた。

 

「明日は9時に迎えに来てくれ。

警察に話を聞きに行く」

 

そう言って扉を閉めると

コンビニの中へ入って行った。

 

普段井川は外に飲みに行くことはあっても、

自宅で酒を飲むことはなかった。

しかし、

今日は飲まなければ眠れそうにはなかった。

 

石井寿弥に再会してしまったから。

 

井川にとって

寿弥はそれほどまでに驚異的な存在なのだ。

 

 

 

いつもよりも大分疲れた足取りで

自宅マンションに着いた。

 

疲れ切ったこんな日に限って、

エレベーターは故障中で

4階まで階段で上らなければいけなかった。

 

少し息を切らせながら、

ようやく4階に到着すると井川は何かにぶつかった。

 

疲れていた為、

下を向きながら上っていたので前を見ていなかった。

 

驚いて顔を上げると悪臭を放つ男が井川に背を向け、

階段を塞ぐように立っていた。

 

「おい!そんな所に突っ立ってんじゃねぇよ!!」

 

井川が怒鳴ると男はゆっくりと振り返り、

井川の目を見た。

目が合った瞬間に井川はかつて1度だけ

味わったことのある恐怖が蘇った。

 

前に感じた時は、

井川はいつの間にか額を刃物で

思い切り切り裂かれていた。

 

今回は物凄い早さで喉に食いつかれた。

 

痛みはあったが声が出ない。

 

死を悟ったからか、

井川の頭は意外にも冷静に働いた。

 

自分が追っかけていた殺人犯、

確信があった。

 

自分の首に

より深く歯を食い込ませる犯人を感じながら、

次第に意識を失っていく。

 

 

すると、

たどり着くはずだった4階の階段の上に

人影が現れたのが見えた。

 

その人影を一目見ようと最後の力を振り絞ると、

それは井川の知っている人物であった。

 

 

「お・・・お、ま・・・え・・・」

 

 

 

 

そうして井川は息絶えた。

 

その後、篠田との最後の酒を飲み終えて、

寿弥は電車に乗った。

井川達が来たこともあって、

気づけばすっかり終電になっていた。

 

犯人は人間ではないという話、

とても信じられる内容ではなかった。

話している当人が

信用のおけない人間であるし、

内容も完全にバカげている。

 

しかし、

それを分かっていながらどうしても

すっきりと割り切ることができなかった。

 

確かに人の首を噛みちぎるなど、

常軌を逸しているにも程がある。

人間ではない、というのも頷けた。

 

そんな事を考えながら歩いていると

麻美から電話が入った。

寿弥の帰りが遅いので心配しているのだろう。

 

「もしもし」

 

「今どこにいるの?電車乗れた?」

 

「ああ、大丈夫。あと5分で着くよ」

 

「なんだ、よかった」

 

麻美は安心して溜息をついた。

 

「ん?」

 

この夜中に背後から誰かが

全速力で走ってくるような気配がして、

寿弥が思わず振り返る。

それと同時に腕に激痛が走った。

 

「うっ・・」

 

寿弥の目の前に立ったのは

悪臭を漂わせる1人の男だった。

痛みが走った腕を見ると

かなりの出血をしていて何かが刺さっていた。

男はかなり興奮していて、

周りに街灯がない為、

顔はよく見えないが

一連の連続殺人事件の犯人だとすぐに感じた。

 

「てめぇ・・・」

 

戦闘態勢に入ろうとした瞬間に、

男が寿弥を思い切り突き飛ばし、

想像以上の力に倒れてしまった。

 

「トシ!!」

 

寿弥が倒れこみ、

今にも男が襲いかかってこようかという時に、

背後で誰かが叫んだ。

その声に驚いたのか、

男は寿弥を襲うのをやめ、

すごい速さで逃げ去って行った。

 

 

「おい、トシ!」

 

「龍平・・・」

 

駆け寄ってきたのは龍平だった。

 

「何だったんだよ、今の

・・・・大丈夫か?」

 

「あぁ・・・」

 

「とりあえず、救急車を呼ぶ」

 

「すまん」

 

龍平が救急車を呼んでいる間に

腕に刺さった物を抜いて、

よく見てみたがプラスチックのような物で

はっきりと分からなかった。

ただ、重要な証拠になる可能性もあったので

それをポケットに入れた。

 

 

龍平は救急車を呼んだ後に、

寿弥の携帯を借りて麻美に連絡をした。

家から走ればすぐの場所だったので

麻美は間もなくやってきた。

寿弥が襲われたことに関してかなり動揺したが、

大した怪我もなく、

寿弥も冷静だったので麻美も少し落ち着いた。

 

救急車には麻美が付き添い、

龍平は役目を終えて帰って行った。

寿弥は第三の被害者になりかける所だったが、

救急車では妙に冴える頭で、

冷静にたった今起こったことを整理していた。