娘は学校の授業の一環で、毎朝聖書を読んだり賛美歌を歌ったりしています。(オンライン)
その賛美歌の歌声が、親バカですが本当に素晴らしく、天使がお家の中で優雅に舞っているいるような気持ちになります。
良い子だなあ、美しいなあ、幸せだなあ・・・と毎日浸っていたのですが・・・
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(前回の続き)
娘に
小学校の保険の時間で教わった知識を、彼女なりにどんな風に理解しているのかを聞いたところ・・・
娘)「ヤルって事?」
私)「え・・・今なんて
」
(本当に目をまん丸にして、口をポカンと開けて聞き返しました。
娘)「だから、ママはヤル事をどんな風に思っているか知りたいの」
・・・私の天使ちゃんの口から、「ヤル」という言葉が、まるで「ちょっとそこまで出掛けてくる」
みたいなノリで出て来たのです。
首をブンブン振りながら、
私)「えちょっと待って。色々訂正させてもらう前に、いつどんな風にその言葉を知ったの
」
「小3くらいかな。男子が大声で言ってて、段々みんなに広まって、そんな話をする男子はみんなにウケてたりしていたよ。
いつもそんな話ばかりしていたわけじゃないけど、エロい画像とか絵とか持ってくる子もいたよ。」
(エロい画像って・・・)
私)「そうなんだ・・・」
想像以上に低学年のうちからそんな言葉遊びと言いますか、まあおもしろおかしく言葉が飛び交っている様子はなんとなく分かりますが、具体的に「ヤル」とかいう言葉を娘の口から聞いたり、画像や絵を学校に持って来る子がいて、やんややんやとしていたんだ・・・という状況を現実の事と認める事に頭がついていきませんでした。
あれだけたくさんの時間学校にボランティア活動で行っていたのに、
『私は私の見たいようにしか子どもたちを見ていなかったのだ』
と分かり、自分を責めました。
でも、嘆いていても仕方ない、しかももう待った無しの状況であると、本能的に私は感じました。
『今からでも全然遅くない、むしろ今気付いてラッキーなんだよ、娘を守れるのは親しかいない。』
と自分を奮い立たせ、平然を出来るだけ装い、頭をフル回転させて娘としっかり話し合おうと思いました。
幸い、その日その時は、息子もパパも息子の小学校時代のチームメイトとフットサルをしに出掛けていたので、2人きりでした。
私)「あのね、あなたがお腹の中に来てくれた事が分かった時ママもパパもすごく嬉しかったんだよ。ママはきっと女の子だってお医者さまに言われる前から確信していてね。ママのところに来てくれてありがとう、一緒に楽しく暮らそうね、やりたい事を自由にのびのび出来るように育てたいな、とか、ママももっと成長しなきゃな、とか、色々毎日お腹に話しかけていたんだよ。生まれてから今までも幸せだけど、一心同体だった10ヶ月は本当に幸せだったよ。一心同体だったからこそ、特に母親って、子どもの一大事っていうか、ここは大事な時、ここは外しちゃいけない時みたいなものが分かるんだよ。でね、それが今だとママは思っている。」
親って何で分かるのって私もちょっと悪さをしようとした子どもの頃感じた事がありましたが、母もこんな気持ちだったのかな・・・と思いました。
私)「生まれた時からよく寝てくれる赤ちゃんで、ママは、いつ起きてくれるのかな、っていつもスヤスヤ寝ているあなたにちょっかいを出したりしていたんだよ・・・」
「それからね・・・」
と、幼稚園の頃の話や、小学校時代の特に思い出に残っていること、すくすく成長してくれた毎日々がかけがえのない1日の連続で、毎日が奇跡なんだ、と思っている事を話しました。
娘は、真剣に私の目を見ながら聞いてくれました。
そして、いよいよ本題に。
私)「あなたが面白おかしく理解している「ヤル」っていう行為、そんな言葉で表現するものじゃないんだよ。ヤルとかヤラレルものではないし、奪われる奪うみたいなものでもないよ。単なる言葉じゃん、って思うかもしれないけど、言葉に宿るあなたの解釈、エネルギーみたいなもの、それをバカにしてはいけないよ。いつか話したと思うけど、マザーテレサの言葉を思い出して。思考が言葉になって、言葉が行動になって、習慣になって、性格になって、最後は運命になるんだよ。日頃あなたが考えている事、もしかしたら何も考えずにヤルって言葉を使っていたとしても、その言葉を使い続けると、雑な行動に繋がるとママは思うよ。」
その後も、真剣に話をしました。
『本当に好きになるとどんな気持ちなのか、パパとママの大切なあなたには人を心から好きになって欲しいこと。』
『大好きな人と大切に関係を育んで欲しいこと。』
『興味本位で、とか、何も考えずにノリでとか、その場の勢いでとかはやめて欲しいこと。』
『対等に相手と話し合えるような関係を築いて欲しいこと。』
など話しました。
そして、いつか聞かれるな・・・とは思っていましたが、
娘)「ママは、どんな恋愛をしてきたの」
と、パパ以外の人との恋愛の話を聞かれました。
これ、何かで読んだことがあるのですが、女の子はママの昔の恋愛の話をすると、
「何でママ、そっちの彼と一緒にならなかったの」
なんて、結構ドライに女友達とするように恋バナには花が咲くこともあるようですが、(ちょっと昔の彼のことを盛って話したり、美化したりすることもあるのかも)男の子は、ママの恋愛話は一切聞きたくないものなのだとか・・・。
心が成長するようなとても良い恋愛をしたことを話しました。
(色々盛り上がりましたが、これは秘密に・・・)
娘と話を深める中で、私は何故性の話をタブーのようにというか、もっと日常的に、必要に応じて気軽に話せて来なかったのかな・・・と考えました。
前回のブログで「小学校6年生の時に、電車の中で痴漢にあった」ことを書きましたが、ここ最近瞑想をする中で気づいたのですが、あの時私は、ショックなんていう言葉では表現できないような気持ちだったことを思い出しました。
電車の中には離れていたのですが両親がいました。
母に訴えた時に(記憶が曖昧ですが)、『そんなの大丈夫よ』みたいな感じで、あまり真剣に取り合ってくれなかったのです。
当時の母は、今の私より若く、性教育についての知識も必要性も分かっていなかったと思います。
母自身も戸惑ったと思いますし、認めたくなかったのかもしれませんし、今となっては正確に起こった事が何なのか知る術もありません。
でも、痴漢にあった私の方が、何だか悪い子というか、被害者なのに汚れちゃった悪い子みたいに思う気持ちがあったのかな・・・と感じます。
母には最大限の愛情を注いでもらったと思っています。
それを疑った事はありません。
どんな状態の私のことも認めて最高に応援してもらったと思っていますが、性の事だけはこの痴漢事件があったからなのか、時代背景だからなのか、何でも話すという関係にはなれませんでした。
でも、母から教わっていないからと目を背けたり、気がつかないフリ、本当は気付けるのにセンサーが働かなくなるようにしてしまうような母親にはなってはいけないと感じました。
「ヤル」という言葉を使った娘に対しては、私の意見は伝え、
『そんな言葉を知らないで使ってしまうあなたの事も認めるし、何なら、変なあなたも、もしも闇を抱えている部分があったとしてもその闇の部分も、そのまんまを許すし、大好きだよ』
と伝えました。
もしかしたら、6年生の私が母に言って欲しかった言葉、態度ってこういうものだったのかな・・・
『あなたは全然悪くないよ。大丈夫。どんなあなたでも大好きだよ。』・・・て言ってもらいたかったのかな・・・
と思いながら。
何が正解かは分かりません。
当時の母も精一杯だったと思います。
そして、その昔の出来事をどう解釈するかは、そういう解釈をした方が自分にとって何かメリットがあるから、そういう解釈をするのだと思います。
母は、痴漢にあった時何もてくれなかった・・・と思い込んだ方が、私にとって都合が良い何かがあったのだと思います。
このような幼少期、思春期の出来事の解釈が、潜在意識を構成する要素になって、自分を作っていくもの何だな・・・と思います。
潜在意識の解釈の仕方、コントロールの仕方については、コーチングを学ぶ中で理解を深めていたので、その知識がとても役に立ちましたし、子どもたちにはひたひたの愛情だけを感じて育って欲しいと思っています。
子育ては自分と向き合う事だと常々感じます。
子どもの人生を親がコントロールする事はできません。
私は、子どもたちが、何が起こっても自分で自分を認めて、自分で責任を取れて、自己肯定感がなくなりそうな時でも、自家発電で自己肯定感を呼び覚まして、問題を解決して自分の人生を自分らしく謳歌してほしいと思っています。
子供達の『自家発電の自己肯定感』を育てるために、
『どんなあなたでも大好き、応援している』
ということを、私が望まないような事があった時こそ、私自身を戒めて、私自身を見つめて、親として成長しながら子どもたちと向き合う事が大切なんじゃないかな・・・と感じています。
何だか、性教育の話からは逸れてしまったかもしれませんが、最近のホットな私の子育て記録として残しておきます。