オンライン授業が始まった事によるネット環境の変化と性教育について(我が家の場合①) | ロジカルでマジカルなコミュニケーションコーチ

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2018年☆2020年に中学受験を経験した兄妹。
兄は2024年、第一希望の大学に入学。
思春期の親子関係の充実は、子どもに勇気と力を与え、一生の宝物の時間になります。
まずは自分を知り、自分を観て、そして生き生きと過ごすことを発信していきます。

私の早朝ウォーキングからの瞑想2時間コース(朝4時半発)、3ヶ月続いているので、習慣になったと言っても良いのかなと思っています。

 

 

ここ数日は蒸し暑く、梅雨のはしりのようなお天気ですが、梅の香りや、紫陽花の色が日々鮮やかに濃くなっていく様子を楽しんでいます。

 

 

瞑想をしてとても私自身が変わったと言いますか、その効果の素晴らしさを日々感じています。

例えば、自分に対して人生や子育てに対してとても肝が据わった事とか、集中力が増したり、勘が鋭くなったり、やるべき事が腑に落ちて分かる様になった事・・・

そんなこんなを日々の様子と絡めてお伝えしたいな、と思っていますが、今日はネットの功罪と絡めて子どもの性教育、命の教育について最近子どもたちと話した事を綴りたいと思います。

 

 

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急速に進んだテクノロジーの進化、ネットの環境、サイバー空間に、学校も親もキャッチアップし切れておらず、道を示し切れていない様な現状を感じます。


 

私は、ネットの世界、サイバー空間の可能性については、今までの常識だけを頼りにしていては情報弱者になってしまって、豊かさとは縁遠い人になってしまうのではないかと感じています。

 

 

良い学校に入って大企業に就職すれば幸せ、というスキームの崩壊は以前から感じていましたが、「コロナウイルスが変えてしまった世界」により、さらに世界が変わる事を考えると、親の私が、豊かになるために通った方が良いと思っていた道のりは、子どもたちにとっては正解ではない可能性の方が高いのではないかと感じます。

 

 

何が申したいかと言いますと、2つあって、

「自分の価値観を疑って、新しい価値観を受け入れたり、可能性を信じて、子どもが興味を持ったことをまずは手放しで応援できる親でありたいと思っている」

という事と、

「例えばネットの世界に関して、闇雲に恐れるのではなく、正しく利用して幸せや成功のための手段として利用する事を教えても良いのかなと感じている」

という事。

 

 

そんな事を考えている最中に、子どもの学校のオンライン授業が本格的になり、それぞれの子どもがそれぞれの自室でそれぞれのタブレット端末を操作する事が当たり前の日常になりました。

 

 

タブレット端末は私の所有物で、私の管理の元、使用時間、見られるコンテンツの制限などをかけていたつもりでしたが、いやいやデジタルネイティブ世代の子どもたちの好奇心とそれを満たすための知識と言いますか、知恵(どちらかというと悪知恵)には、日々びっくりさせられます。

 

 

兄妹で結託して隠し事を庇っていたり、制限時間を解除するために日付を数日先の昼間に設定していたりなんていうのは序の口。

 

 

こちらも削除出来ない設定で履歴を見ながら、今何に興味があって、どんなコンテンツを見ているのか確認しています。

 

 

まさにイタチごっこ。

 

 

ニュース記事を見ていたつもりが、そのニュース記事に関連するニュースを・・・と調べて行った先に、怪しい広告があったり、びっくりするようなタイトルの漫画があったり、無料で見れる漫画の中身が唖然とするような中身だったり。

 

 

で、これは、表面的に禁止だの何だの言っていても何も解決しないし、子どもの事を守ることにはならないな、と思いました。

 

 

子どもの可能性を摘まないためにも、正しくインターネットを利用して欲しいし、そのためにタブーなしで腹を割って、本音で話さなきゃいけないと思いました。

 

 

インターネットの利用で、

「人の悪口を書いてはいけない、仲間はずれだと感じさせたり、いじめに繋がるような行為はいけない」

というような事は比較的親として言いやすかったのですが、こと性に関することは、

「まだ早い、彼氏彼女が出来そうな雰囲気になってから、何かきっかけがあったら・・・」

と後回しにしていました。

 

 

性の事を話すにあたって、

「命を産む行為であること」

「あなたは、とても望まれてこの世に産まれてきて、大切に育まれた命であること」

「自分を大切にして欲しいこと」

「誰かを好きになるとどんな気持ちになって、相手を自分と同じ様に大切に思って欲しいこと、相手の方にもあなたを大切に思って欲しいこと」

「漫画や映画の世界の表現は、飛躍しすぎていたり、ある一部分を切り取っただけの世界であることが多いこと」

をしっかりと伝えた上で、具体的な行為、綺麗事ではない事例(若年で妊娠してしまう事でどんな風に生活が変わるか、中絶について、性犯罪についてなど)を伝えようと思いました。

 

 

私自身は、親からこの様な話を聞いたことはなかったのですが、小学校時代に、子どもだけでキリスト教の教会の日曜礼拝に行って(いただけるお菓子目当て)、正しいこと、正しくないこと、して良い事、悪い事などを、学校や親以外から世の中の全体の意識としてのルールを教わる時間がありました。

 

 

それと、小学校6年生の時に電車の中でおしりをサッと触られる痴漢にあったことがあり、とてもショックを受けたのですが、その事でとても警戒心の強い人になったと思います。

 

 

私と同じ経験をしていない子どもたちに、私もしてもらったことのない話をする難しさはあるのですが、絶対に避けてはいけないことだと思って話をしました。

 

 

話すことは決めたのですが、同じ様に育てたつもりの兄妹でも、性別が違うし性格違うので、一緒にまとめて話すことは出来ないな、と感じました。

 

 

まず、娘に話しました。

話をする中で、ゲームのアプリや様々なアプリでコメントをやり取りしていることが発覚したので、とても濃い話し合いを数日かけてしました。

 

 

学校などで教わったネットの危険性の「それ」と、今目の前で起こっている「これ」が結びついていないというか、都合よく解釈していることが分かりました。

 

 

娘はあるアイドルグループが好きで、その話題で盛り上がりたくて繋がっていた様子。
(まだ始めたばかりで、早い段階で気付いて本当に良かったです。)

 

 

「やり取りしている人が同年代の女の人だという証拠はあるの?」と聞くと

「そうだっていうからそうなんじゃないの?」

と、楽しい会話に麻痺してしまっているのか、よく考えれば分かる様なことがわかっていなかったり、警戒感がなさすぎる事がわかりました。

 

 

本人にとっては些細なコメントのやり取りだとしても、自分の何らかのアドレスを介しているわけだから、嫌になったから削除とかなかったことにする等は出来ないこと、デジタルタトゥーとして消せないことなどを鬼の様な顔で話しました。

 

 

最悪成人した男の人で、犯罪に巻き込まれるケースだってある事、そんな事態になったらどんな事があるのか、過去の事件を調べて記事を一緒に見ました。

 

 

そして、どこまでどんな風に性の事を知っているのか、聞いて見ました。

 

 

なぜ私がそれを知る必要があるのか、今どうしてこの話をしたいのかは、先ほど記した気持ちを伝えました。

 

 

そうしたら、驚くような答えが返って来たのです・・・。

 

 

長くなったので(夕飯の支度があるので)続く・・・