変化なし。 | *ほっとけ。ぼくのじんせいだ。*

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好きなことがたくさんあります。嫌いなこともそこそこあります。家族のこと、愛猫4匹のことなど、日常のことをその日の気分で書いてます。

だれかに教えたいこと

 

 

 

 

 

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9年前から僕は本当に変わってない、

ということ。









もちろん変わったこともあるよ。

けれど基本性格みたいなものは

あまり変わらないのだろうって

過去ログ見ると思う。

 



基本、メンタルを病むような

性格ではないと思うんだよね。




ただ、そのときは既に

「躁状態」だった、という説が濃厚で、




通常時、例えば、人があまり気にしないこと

(ラグや家具の数ミリのズレ、

浴室に窓がないと無理、

靴は右から履き、右から歩き出す、

洗濯機が室内にあり、

大量の水が回ることの不自然さに

対する気持ちの悪さ、など)




そういうのは、ずっとあった。




それらが一切気にならない期間、

それが僕にとっての「躁」。




よく双極の人は「躁に戻りたい」

と言うらしいけれど、

もれなく僕もそう思ってた。




周りに害を及ぼさないのであれば、

ずっと躁状態がいいよ。





僕の両親は決して子どもを育てる、

ということが上手い人では

なかったんだよね。




正確には、僕という人間を

持て余していたのだと思う。




(なんだかよく分からん子だわ)



と思ってたし、今もそれは

変わってない。




いわゆる「育てにくい子」

だったんだろうなあ、と。




相性が悪かった。

そう、ただただ相性が悪かったのだ。




僕が


(これを言うと困らせるだろう)



と言わないようにしていたことが、

両親にとっては



(何考えてんのかサッパリわからん)



と捉えられて、それが

苛立たせることに繋がったことも

たくさんあったはずなんだよね。




だから僕は両親のことは

別に恨んでいないよ。




むしろ



(気難しい娘で申し訳ないです)




と思うこともある。




ただね、ただよ、母親の宗教、

それによる僕が被った弊害やストレスに

対してのみについては違う。





僕を宗教二世にしたこと、

これに対してはぶっちゃけ

今も母親を恨んでるよ。




母親が宗教を信仰したことにじゃないよ。



それを何もわからない子どもだった

僕に押し付けて育ててきたことにだよ。



恨まずに、憎まずに生きた方が

ずっと楽になるだろうことは

100も承知なんだけれど、




これだけは僕は一生手放せない感情

だと思っているし、



それでまあ、いいかな、とも

思っている。




それだけ自分が背負って生きてきたものが

自分の人生にとってとんでもなく

大きなものだったんだ、

なら自分の子らにはそういうものを

持たせないようにしないとなあ、




と思うし、自分の過去の苦しみを

肯定もできるし、母親は今も

宗教の話になるとウザいし。





愛猫チャンお願い




窓際のこむお(こむぎ)。










この顔、かわよ。