お見舞いに。 | *ほっとけ。ぼくのじんせいだ。*

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好きなことがたくさんあります。嫌いなこともそこそこあります。家族のこと、愛猫4匹のことなど、日常のことをその日の気分で書いてます。

落雷の瞬間を見たことある?

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6年前の今日、同じようなネタ。
内容も今日書くことに近いね。



奇遇ね。








モモちゃんが生きてる!





昨日の歯科では、奥歯の神経を抜く
処置をしてもらったのですけど、
しばらく口の左半分が麻酔で麻痺し、
喋りづらかった。


「痛み止めって家にありますか?」
「ありまふ」
「しばらく痛むと思うので
そういうときは
痛み止めを入れてくださいね」
「はえ、わかりまひた」


みたいな。



ぐったりして帰宅し、
午後からは、祖父の面会に行きました。




入院して1ヶ月。


嚥下性肺炎で、もう食べ物も飲み物すら
喉を通りません。




ずいぶんと痩せてしまっていましたね。


ずっと点滴です。




気管支切開や胃ろう手術も
受けないと両親が決めました。




昨日顔を出すと、珍しく
目が開いていました。



いつもは日中ほとんど寝ているとの事。



もう意識はほぼないよ、
行ってもわからないよ、と
聞いていたので



(いやいやいやいや、
意識あるやんか)



と思いながら、嬉しくなって、



「じいちゃん、ゆかやで、来たよ、
わかる?」



というと虚ろだった目をカッと開け、
起き上がろうとする。



「あ〜!あ~!!」



というので、


「え?どした?」


というと、




「もう死なせてくれええ」



そうハッキリと言ってた。



「あらら、そう?
私は生きてて欲しいよ」


と返して、
祖父の手や顔や頭をさすさすしながら



「外、暑くなってきたで、
夏が近いね」



のようなことしか言えなかったが、
一緒に行った母親は




「じいちゃん、お疲れさま、
ほんまよく頑張ったね」



と生者を前に言うには早いだろうよ、
という言葉をニコニコしながら言い、




「お浄めしなきゃ、お浄め」



と宗教の祈りを捧げ始めた。
手遅れ、とはこういう人のことをいいます。




じいちゃん、よう頑張ってるよ。
ずっと頑張ってるよ。



帰り際、母親は


「私は延命治療してまで
生きたいとは思わない、
じいちゃんもそれがいいに決まってる」



と言っていた。



僕も同じ考えなんだよね。
自分のことはね。



家族にもそう話してある。



でも自分がそういう考えだから、
皆そうか、というと、
それはまた違うじゃないですか。



「じいちゃんはどう思ってるんやろね」



と聞くと、



「さあ?笑
聞いたことないしわからん」



と言っていた。



僕にはどうしても祖父の言葉が



「これ以上このツラさが続くならば、
もう生きていたくない」



という意味に聞こえたんだよね。



手術、受けることで、
今より楽になるとかないのかな、
しかし、老体に手術も楽じゃないし、
リスクもあるしな。
果たして。



あくまでもこれは僕の考えだし、
祖父の意識が朦朧として
意思表示がハッキリできない今、
実の息子である父親が
手術は受けさせない、と決めたなら
もうそれは仕方ないことなんだけれど。



僕の考えが正義で、
そうじゃない考えが悪というわけでは
まったくないからね。




両親には両親の考えがあっての
選択だしね。




僕はただ、祖父の残りの時間が
穏やかであってほしい。



憎まれ口を叩き合ったことも、
殴り合いになったこともあるけれど、
それでも唯一の祖父だからね。



身内であっても、他人であっても、
人が苦しむ姿は見たくないものよね。



このややどんよりした気持ちを
引きづったまま、今日は
僕の通院日です。終わっている。



愛猫チャンラブ





縦並びの3匹。






「おーい」




(ハッ…!!!!)