2年以上ぶりくらいにフラメンコ💃の大御所スターであるカルメン・レデスマ先生のクラスを訪れました。

たぶん私が求めている、「フラメンコの本質」と言う基礎が理解しやすい場所の一つだと思っています。

世界中には表現方法がたくさん存在します。(絵、歌、舞踊、料理、楽器、言語などなど)。その中でフラメンコと言うジャンルが存在します。

そして、フラメンコの中でも「従来のフラメンコ」と「現代的なフラメンコ」が存在しています。


「どんな表現方法が好きか?」「どんな風に表現したいか?」

と言うのは、ぶっちゃけ各個人の自由です。個人的には上にあげた全ての表現方法を学びたいし、何が1番良いか?と言う拘りもありません。

一つ言える事は、表現方法を知れば知るほど、頭の中の世界が広がっていく過程が経験できる」という事です。

ですが、今回はカルメン・レデスマ先生が伝えたいフラメンコの本来の姿に関するコメントを記載したいと思います。

彼女のクラスは踊るより、話(知識)が多いです。考え方が変わると、踊り方が変わるからです。

下記がコメントです。

・近年、サリーダ(出だしの歌)を聴かずに突然サパテアード(高速足さばき)から始める踊り手をよく見かけるわ。「貴方の技術があるのは分かるけど、フラメンコを踊るとはそうではないのよ。」

貴方達のほうが私より沢山パソ(ステップ)を知っているわね。でも適切な使い方を知らない人ばかり。私は2~3種類しか知らないけど、音楽を確り自分の中に取り入れて使う事ができるわ。

・最近、コンパス感(各音楽的特徴)が聴き取れない、音楽的な要素がないサパテアードを耳にするわ。そんな機械みたいな音楽を聴いていたら、心臓発作になって死んでしまうわ。(笑)冗談半分

・自然に町を歩くように歩く(踊る)のよ。普段の生活でそんな風にスカート持って歩く?私はしないわね。

この人(生徒の1人)はね、コンセルバトリオ(芸術学校)にて優秀な成績を収めて資格も持っているわ。でも彼女はフラメンコを踊ることを知らないのよ。

・クラシックバレエの踊り手やコプラ歌手は高い技術を持っているわ。だからこそ、自然な人間の表現のフラメンコ💃をする事に苦労するのよ。

・最近皆が高いサパテアード技術があるのは、当たり前になっているの。今のタブラオではサパテアードができないと仕事(ビジネス)にならないからね。でも、アルテ(芸術)が不足しているわ。

まとめ:
上記以外に彼女がクラスでコメントしている事が沢山ありますが、取り敢えず纏めてみましょう。つまり、近年頻繁に観られる高速サパテアード(早い足技)とは本質的なフラメンコを表現する上では重要視されておらず、身体全体で自然に表現するよりも、最近は高い技術か重要視されていると。また音楽的知識の不足でシンプルに効果的な表現をする若者もいないと言います。

興味深い事に、フアン・パレデス先生も同じ事をブレリアのクラスで話していました。

彼が先日言っていた名言:
「何もしないで、私は踊りを知っているよ!ってリラックスした態度で2コンパス止まってごらん。」

難しいパソも何もしていない、この瞬間の貴方の態度から伝わるエネルギーが1番フラメンコだよ。

そして亡くなったダニー先生の言葉も思い出しました。

「サパテアードは踊っていると言わないよ。」

「踊りは何もしていない瞬間に1番生み出されるんだ。」

「今は学校で習えるのは、ほとんどの場合振付とサパテアードだ。だからこそ、本質的に踊っている瞬間だけ自分で抽出できるように勉強しないといけないよ。


個人的な纏め:

上記の3名の先生の意見は一致していた。しかしながら人にはそれぞれ好みがある。だから、従来のフラメンコでも、現代的なフラメンコでも自分が求める表現で良いと思います。

でも本質的なフラメンコの勉強をするためには、本来沢山パソや振付を覚える必要はないと分かります。

フラメンコの本来の基礎はカンテ(歌)にあり、歌がわかれば踊りで表現しやすくなる。またカンテの先生からも話を聞きましたが、現代のタブラオではカンテの知識がない踊り手が山のようにいる現状も教えてくれました。

つまり本質的なフラメンコの勉強はまずはカンテ(歌), その次にギター最後にバイレ(踊り)になるのではと思います。

でも、私もそうですが踊りから始めてしまいカンテについて何も知らないと言う現実。それに、自分で歌えない状態で解釈してしまおうと言う場面が多い現状なんだと認識しました。

しかしながら、バイレから勉強し始めた利点は踊る事でリズム感が身につきやすいと言うことです。

それが本質的なコンパス感なのか、メトロノームのようなコンパス感なのかは(↓のブログ参照)は別にしてリズム感って身体全体で学ぶことだとも思います。

では従来のフラメンコを求め続けるべきなのか?

日本の茶道や着物などのように、古くからある芸術を大切にするという意味では良いのかもしれません。しかしながら、フラメンコは言語学習とある意味一緒である。つまり、スペイン語にはスペイン文化が宿り、日本語には日本の文化が宿る。つまり文化学習なしに言語の習得は非常に難しい。でも古いサムライ時代の日本語を現代で話す人はほとんどいない。

もちろん起源や基礎を学ぶ事で、最終的に極端な話中国まで行き着くかも知れません。

しかしながら、言語とは文化を残しながら形を変える物だとも理解できます

個人的には、両方知っていたら良いかと思います。