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さて本日は秋学期2回目のトロンボ先生のクラスへやって来ました。
1日目は10数人近く生徒がいましたが、2日目は半分以下になりました。
理由は?
1. バイレ(踊り)のテクニカ(技術)を学びたい。
2.フラメンコのコンパスが難し過ぎた。
先生の分析はそうでした。
さて、残った5~6人は自称 アフィシオナド(愛好家)でした。明確な職業はわかりませんが、顔つきや話し方態度がエレガントな中年男性の友人達です。
皆がトロンボ先生のクラスに来ている理由は本やウィキペディアでは学べないビビエンシア(人生)を学ぶためです。
↑は図書館で借りた有名なカンタオール、ナランヒト(naranjito)さんの伝記です。
※因みにNaranjaはオレンジで、Naranjoはオレンジがなる木の事です。語尾のitoは小さなものにつける、日本語のちゃんやくんのような言葉です。
例えば、この本の最初の数ページを読んだだけでも昔はお金がなくバルで伯父さんや父親の歌を聴いて学んだ事。
集合住宅で10人家族で狭いリビングと寝室1室しかない場所で暮らしていた事。
彼の父親の仕事は夏はオレンジを収獲する政府から依頼を受けた職務であり、収穫後はメルカド(市場)の警備員をしていた。
などなど。
※私のスペイン語力にも限界があるので、まだまだ本は終わりません。
しかしながら、フラメンコの歌を人に伝わる方法で生きた人達の生活の状況が頭に浮かぶんです。
それと同時に、私の場合は彼が過した場所を実際に散歩する事もできます。
と言う歴史的な歌への理解や認識が変わると、フラメンコへの考え方が変わります。
さて本日は有名なマヌエル・トーレのお孫さんの、同じ名前のマヌエルさんがギターを弾きにいらっしゃいました。
お孫さん(マヌエル)が語りました。
パルマを打つ時も、
ギターを引く時も
歌う時も、
踊る時も、
自分の心臓の音のように内側のリズムを自分の為に聞くんだよ。
トロンボ先生が続けます。
「そうだよ。最近いきなり大きな音でパルマをひたすら打つ傾向にあるよね。本来のパルマはもっと柔らかくて、呼吸した時の空気の微かな音を含めるんだ。」
それが生きたパルマ。
メトロノームのような強いパルマはビジネスのためだよ。
近年、愛好家(アフィシオナド)よりプロフェッショナルが多い。メトロノームのパルマだらけなんだ。
マヌエル(お孫さん)が続けます。
昔のカンテ(歌)には正確なコンパス(リズム感)なんかなかったよ。メトロノームのように測るものがなかったからね。
そのコンパスずれる歌に合わせてギターも合わせるんだよ。
「形式化された、フラメンコの授業を受けているとそのズレに対応できないよ。分かるかい。」
つまり、フラメンコとは教科書化して(システム化して)習える内容ではないんです。
そのズレに関するコメントはブレリアのクラスで先生達がポッと言う発言に共通していました。
そして亡くなったダニー先生の言葉を思いだしました。「僕は何処で習っているの?」って質問して、「クリスティーナ・フンダシオンヘレン」ってきいたら、頭の中で「あぁ、残念だね。」って思うよ。あそここそ、まさにビジネスにするための学び舎だよね。昔は良い先生も沢山いたようだが........
私もタブラオのクラスを3ヶ月だけ受講してみましたが、感覚的に個人的に好きではなく辞めました。
ビジネスとして活躍するにはコネクションづくりや推薦を受けやすい場所かもしれません。
ただし年間授業料も高いですね。奨学金がない人達はどうやって払い続けるのか疑問です。
そしてまたパルマの話に戻ります。
先生は私にききました。スペインでよく、「君は中国人か?」と聞かれないかい?でも君は日本人だよね。同じアジア人でも皆がアイデンティティあるよね。
フラメンコも同じなんだ。タンゴはタンゴ。アレグリアスはアレグリアス。それぞれのコンパスにアイデンティティがある。それを聞き分ける事ができると、よく聴いている証拠さ。
そのアイデンティティを明確に持ちながら、ヒップホップや他のジャンルの音楽の中で生きる事もできるんだ。
近年の問題は、明確なアイデンティティの違いの教育ができている先生が存在していないのさ。