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<提供:NEWSポストセブン>
過労自死、ブラック企業など私たちの働き方が問われている。フリーライターの神田憲行氏が考える。……
私はまともな会社勤めの経験が無いので、ビジネス記事の成功者談や有名IT企業幹部の意識高いツイートにふと触れてしまうと、息苦しくなる。みんなが一流を目指さないといけないのか。成功と失敗の間のほどほどの人生もいいではないか。
私と同じ息苦しさを感じている人のために、先日出会った若者の話を紹介したい。
彼はいま20代後半。将棋棋士を目指していたがなれなかった。棋士になるには養成機関である奨励会でで26歳までに四段にならなくてはいけないのだが、その年齢制限にかかって退会となったのだ。10年間かけて自分の夢が叶わないことを確認した。
奨励会の会員はアルバイトと勉強を兼ねて、プロ棋士の対局で「記録係」というのを務める。一手ずつ指し手を記録して、棋譜と呼ばれる公式記録を作る仕事である。あるとき彼は持ち回りで、ほとんど目立たない年配の棋士同士の対局の記録係を務めた。……
そして驚いた。
「この人ら、ものすごく強い」
なにがどう強いのか、彼の言葉を借りると、
「当然の手を当然に指す」
将棋の指し手には発想の豊かな手を「鬼手」「妙手」と形容したりするが、おっさん棋士の指し手には鬼手も妙手もない。ただただ、プロから見れば「そらそうだよな」と思うような平凡な手を指していく。その代わり悪手もない。素人からすれば外連味の無いつまらない勝負でも、プロになろうともがいている若者だからこそ、その平凡さの凄みがわかったという。
「奨励会では実力に波がある人がいます。私もそれが悩みだったんです。強いときと弱いときの差が激しい。だから当然の手を指し続けるこの人たちはすごいなと感心したんです」
平凡を積み重ねていくことの難しさ、大切さというのは、棋士だけでなく他の仕事にも言えることではないだろうか。一流やスターを目指さなくても、二流や三流の生き方を選んでもいい。
私がおっさんになってから気付いたことを20代でわかった彼は、プロ棋士にはなれなかったが全国屈指に入るアマチュア棋士の強豪として、平凡を極めつつある。
正直に言って、子どもの頃から一貫して「りかちゃんワールド」で生きている私からすれば、皆が一流を目指しているわけではないのは自明の理。
どの業界でも、一流になれるのは、才能と努力と運のあるほんの一握りの人たち。
一流になれない人が殆どなので、私自身は息苦しさを覚えることはありません。
というか、棋士のおっさんや、アマチュア棋士の強豪が平凡?
平凡を極めたら、平凡ではなくなるような気がしますが。
でも、おっしゃることには共感します。
波がない。
これはすごいことだし、私も目指したいと思っています。
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