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「SUNDAY LIBRARY 片田珠美
努力が報われない社会が
むきだしの羨望を容認する」より
羨望とは、他人の幸福を目の当たりにして自己愛が傷つくことで感じる怒り。
〝うらやましい〟から〝引きずりおろしてやりたい〟、昨今その風潮を強く感じるという。
「…… 羨望は今にはじまったことではなく、シェイクスピアの時代からあるものですが、よりむきだしになっているのを感じます」
なぜむきだしなのか。
その背景の一つに〝ランキングブーム〟がある。
大学も会社も収入も、あらゆることがランクづけされる時代。
自分がどのランクであり、他人がどのランクなのかが一目瞭然。……
そしてもう一つは、画一的な価値観にとらわれていること。
「価値観の多様化と言われていますが、行き着く先は『人と自分、どっちが上か』『どっちがマシか』。
内容は違っても、求めるのは『人より上』であること。
結局は、画一化しているんですね」
多様化にふれた振り子は、同じ大きさで画一化に戻ってくる。
一つの土俵にみんなで上がろうとするから、蹴落とし合いが始まる。
それが、必要以上に強いバッシングの正体。……
「匿名で書き込めること、また、〝イネイブラー〟という支え手、つまりはやしたてる観衆や見て見ぬふりをする傍観者がいること。
これが罪悪感や恥の意識をなくしてしまう」
ランク外に落ちた心の傷を癒すために肥大化したい自己愛は、他人の不幸を願う羨望となって現れる。
自己愛ばかりで、自尊心や自己肯定感がなかなか持てないのが現実だ。……
羨望は感情であり、感情を否定したり抑えこんだりはできない。
だが、見方を変えればそれに振りまわされずに済むという。
「羨望って、現実原則に照らしてみると損なんです。
人の悪口を言ったり書き込んだりするのは時間とエネルギーが必要。
当然リスクもある。
一時的に気分がスッキリするかもしれないけれど、現実は何も変わらない。
つまり〝コスパ〟が悪い。
そう考えればやめられるかもしれない」……
詳しくは、↓
他人の不幸を願う人 (中公新書ラクレ)/片田 珠美

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人と競争した、という意識がない私。
実際には、勉強や仕事で競争させられてきた面もあるはずですが、その自覚もなく過ごしてしまった、というのが本当のところでしょうか。
それがよかったか悪かったかはわかりませんでしたが、どちらかと言うと、競争意識がないことをマイナスと捉えていました。
でも、この記事を読んで、逆によかったかも、と思いました。
自分の心の傷を癒すために、人を引きずりおろす必要がなかったから。
そもそも、私は小学生の頃から、自分が賢くもなく努力家でもないことを知っていて、私のような人が多いと世の中困る、と思っていましたから。
自分が素晴らしくないと、自己肯定感が持てない、ということはありません。
これは、声を大にして言いたいです。
ものさしをいくつも持てばいいだけの話。
勉強はできないけど、スポーツは得意とか、とりたたて誇るものはないけど、心が純粋だとか、人である限り、絶対に「何か」あるのだから。
その「何か」を見つけて、大事にすればいい。
個人的には、損だとかコスパが悪いという考え方は必ずしもいいとは思いませんが、そう考えることで、「羨望」の心にブレーキがかけられたら、それもありだと思います。
他人の不幸を願ったら、自分が不幸になるだけです。
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