…… 相田は旧姓栃木県足利中学校を卒業後から短歌と仏法を学び、19歳で書家を志して岩沢渓石の弟子となり、書の修業を積んだ。
関東短期大学部夜間部国文科を卒業した翌年、30歳で毎日書道展に初入選し、技巧派の書家として頭角を現した。
しかし、時を同じくして、「技巧だけでは、人を感心させられても、感動させることはできない」という信念のもと、自らの平易な言葉を独特の書体で書く作風に入って行く。
相田は晩年、自身の作品集で「私は書という形式を借りて、人間としての本来的なありよう、本当の生き方を語っているだけ」と述べている。
制作への執念は凄まじかった。
結婚後10年余り足利市内に間借りしていた自宅では、家族4人が8畳一間暮らしのつましい生活の一方、自分は最高級の道具を用い、30畳のアトリエで筆を執らない日はなく、反故の山は天井に迫るほどだったという、
相田の従来にはない作風は、書、詩とともに長らく評価されることはなく、ろうけつ染めや包装紙デザインで生計を立てていた。
全国各地で個展を開いたものの、広く知られるようになったきっかけになった、初の作品集「にんげんだもの」の出版は還暦の時。
その7年後、67歳で脳内出血により急逝する。
創作者としては苦難多き道のりであった。……
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家族4人8畳一間に暮らしながら、30畳もあるアトリエで制作に励んでいらしことを初めて知りました。
家族の理解と協力があってこそ、相田みつをさんは世に出ることができたのですね。
60歳にして商業的な成功を収めた後も、書や詩の世界で高く評価されることはあまりありませんでした。
でも、人の感心よりも感動を求めた相田さんです。
心に響くわかりやすい詩と独特の書風で多くの人に感動を与えられたことを、幸せに思っていらしたことでしょう。
「しあわせんはいつも じぶんのこころがきめる」のだから。
この文言は30歳前後から書き始め、仮名遣いや書体、レイアウトを少しづつ変えながら書き続けた。
当初は「自分」「心」が漢字で、50歳代に入ると「じぶん」が平仮名に、最終段階ですべて平仮名となった。
繰り返し書き続けてこられたのは、ご自分も大切にしていた言葉なのでしょう。
「しあわせんはいつも じぶんのこころがきめる」
私もそう思います。
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