秋の遠足に行ってきた。

ありのみコース。

フィールドアスレチックだ。


春の遠足は、私の体調不良で中止になった。

子ども達に申し訳なかった。

退院して練習に復帰したとき、

低学年のある子が、

「遠足が、……。」

と言ったのを忘れることが出来ない。

きっと楽しみにしていたのだろう。


インターネットで調べ、

候補を上げ、

実地踏査に行って、

決定した。

6月のことだったか。

ジャブジャブ池が、メインだと思った。

だとしたら、暑いうちに行かなければ。


三連休の中日。

渋滞もあまりないのではないか。

インターネットの渋滞予測でも、

見事に外れていた。

今日、実際に行って、

その通りだった。

解散予定時刻より早く解散出来た。

初めてかな?



遠足は、

子ども達が楽しむため

(そして、私が楽しむため)

に行く。


いつからか、

「子ども達が楽しそうに遊んでいるところを見る」

のが好きになった。

若い頃は、一緒に遊ぶのが楽しかった。

歳を感じるが、仕方がない。


もうひとつある。

チームが一体になること。

私がムスタングに戻ってきた頃は、

練習は、全員が一緒にやっていた。

全員が全員をよく知っていた。


それが、人数が増えたため、

全員が一緒に練習出来なくなった。

人数が増えたのは、良いことだが、

「全員が全員を知っている」という状態ではなくなった。


今日の遠足、全員がファーストネームで呼び合っていた。

ジャブジャブ池では、下学年の子が上学年の子を、倒していた。

アスレチックの池では、下学年の子が上学年の子を、池に落としていた。

もちろん、逆もあった。

まるで、兄弟のようだった。


はじめは、「○○って、誰?」と言っていたのが、

遊んでいるうちに、前述のような状態になった。

行きはもちろん、帰りのバスの中も、

仲良くふざけ合っていた。

「ビデオをつけて。」が、とうとう出なかった。

ビデオなんかを見るより、

子ども同士で遊んでいる方がよっぽど良い。

「ムスタング・ファミリー」になっていた。



解散前、バスの中。

「今日、楽しかった人?」

「はーい!!」

多分全員が手を挙げた。

でも、聞かずともわかっていた。

それまでの子ども達のようすから。

今までの遠足の中で、一番楽しんでいるなあ、と感じた。

子ども達はどうだったのかな?


朝、久しぶりの頭痛で、迷惑をかけてしまった。

「玉にきず」だったなあ。

あれさえなければなあ。

まあ、「魔除けの逆柱」ということにしておこう。

以前、チームのことは考えず、

自分の都合だけで動く人のことを書いた。

サッカーのようなチームスポーツの団体に、

子どもを入れる一番の意味は何なのか。

サッカーをうまくさせることなのか。

頑張る気持ちを育てることなのか。

あいさつできるようにすることなのか。

・・・


全て正しい。

ただ、ひとつ物足りない。

サッカーのチームに入れば、サッカーはうまくなる。

野球のチームに入れば、野球がうまくなる。

あたりまえのことだ。

頑張る気持ちを育てる。

サッカーのチームでなくても出来る。

あいさつできるようにする。

これも、サッカーのチームでなくても出来る。

武道のチームなど、特に厳しく指導してくれる。


サッカーというチームスポーツの団体に、

子どもを入れる一番の意味。

それは、「みんなのことを考える心」なのではないか。


子どもは、わがままだ。

それは、そうだ。

生まれたとき、世界は自分を中心に回っている、

と思わせるほど、たくさんの笑顔に囲まれた。

泣けば、おとなが飛んできた。

何でも、思い通りに事が進んだ。

だんだん、そうはいかなくなってきた。

泣いても、わめいても、思い通りには進まない。

そんな中、小学校に入る。

ますます、思い通りには進まない。

そうやって、わがままな気持ちが矯正されていく。

社会性を身につけていく。


「わがままな気持ち」は、だんだん少なくなっていっても、

一歩進んだ、「仲間を思う気持ち」は、育つわけではない。

「わがままではなくなること」と、「仲間を思う気持ち」は、別物だ。


しゅんすけは、4年生でただ一人、富山遠征に行った。

抜群の活躍で、チームを勝利に導いた。

富山遠征は、次週から始まる、さわやか杯でのチーム作り、

という構想が、私にはあった。

富山で大ブレークして、さわやか杯で予選リーグを突破し、

中央大会に進む…そういう構想だ。

しゅんすけは、なくてはならない存在になった。

ところが、しゅんすけの家族は、そんな事情は知らない。

予定を入れていた。

私の話を聞いて、予定を取りやめて、大会に参加させてくれた。


みのりは、5年生。

さわやか杯のことは伝えてあったが、

勘違いで、予定を入れてしまっていた。

私の話を聞いて、予定を取りやめて、大会に参加させてくれた。


自分が休む、ということは、どういうことなのか。

戦力になるかどうか、ということは関係ない。

16人で練習していれば、16人がチームだ。

一人欠けても、チームにならない。

スタメンは、11人だ。

これは、ルールなのだから仕方がない。

怪我したら、疲れて走れなくなってきたら、……。

交代選手は、絶対に必要だ。

いなくては、戦えないのだ。


試合を休む。

「みんなに悪いなあ。」と思う子どもを育てなければならない。

それが、おとなの責務だ。

そう思う。

間違っても、「休んでも平気な子」に育ててはならない。

しゅんすけとみのりのお家の方は、

そこら辺が十分に分かっていらした。

それが嬉しかった。


各個人の戦力の差は、当然、ある。

日本代表のような選抜チームではない、地域の少年チームだ。

今の6年生チームにも、差はある。

その差を埋めるためにも、練習は必要だ。

練習を休めば、下手になる。

当たり前のことだ。

下手ならば、交代して試合に出たときに、活躍は出来ない。

やはり、練習して、上手になっていなければならない。

自分のためにも、仲間のためにも。


練習を休む。

「みんなに悪いなあ。」と思う子どもを育てなければならない。

それが、おとなの責務だ。

そう思う。

間違っても、「休んでも平気な子」に育ててはならない。


しゅんすけとみのりは、きっと、練習や試合を休むときに、

「みんなに悪いなあ。」と思う子に育っているだろう。

少なくとも、育っていくだろう。

そう思った。


フォア・ザ・チームの精神。

チームスポーツの団体に入れた以上、

おとなが意識して、子どもに指導していかなければならない。

そうでなければ、

子どもにチームスポーツをさせる意味は、半減すると私は思っている。


私の勤務する学校で。


5年生の男の子、仮にAくんとする。

A「僕、今のチーム、そろそろやめるんだ。」

私「なんで?」

A「だって、5年生、一人しかいないんだもん。」

私「そうなんだ。」

A「4年生も、3人しかいない。だから、来年は、6年生チームは作れない。」

私「え?それでやめちゃうの?」

A「うん。」


へー、そんなんでやめちゃうのか、と思った。

Aくん曰わく、4月から新しいチームに入って、試合に出るのはどうかと思うから、

そろそろやめるのだという。


ムスタングもそうなっちゃうのかな、と思った。

「金の切れ目が、縁の切れ目」じゃないが、

「ヒト(人数)の切れ目が、縁の切れ目」になるんだなあ。


だが、待てよ。

これは、プロのチームじゃないよなあ。

少年サッカーチームで、そんなことがあるのかなあ。


ミロの言葉が、頭をよぎる。

たった一人で貝取小。

ミロのことだから、友達もたくさんできただろう。

当然サッカーをやっている子もいる。

随分、「チームに入らないか。」と誘われたのだそうだ。

でも、ミロの言葉はひとつ、

「おれは、ムスタングだから。」

その話を聞いたとき、泣けた。


少年は、もちろん、プロじゃない。

損得勘定で動くのか?

「否」であるはずだ。

「否」でなければならないはずだ。

少年サッカーチームで、何を学ぶのか?

ただ単に、サッカーの技術・戦術なのか?

集団への帰属意識や、仲間を思いやる気持ちは、育てなくて良いのか?


その子の表情に、冷たさを感じた。

「本当は、残りたいんだけど、僕はサッカーをやりたいので、仕方なく他のチームに移るんだ。」

そんな表情なり、言葉なりを期待した、いや、期待したかった。

でも、残念ながら、微塵も感じられなかった。


「腰掛け」なんだなあ。

自分の少年時代の一部を過ごしたチーム。

でもそれは、自分の「サッカーをやりたい!」と思う気持ちを満足させるためだけの存在。


サッカーをやりたい

    ↓

サッカーの出来るチームに入る

    ↓

人数が少なくて、試合ができない

    ↓

何の躊躇もなく、他のチームに移る


何か違うんじゃないかなあ。

一番大切なことを忘れているんじゃないかなあ。

そう思った。