以前、チームのことは考えず、

自分の都合だけで動く人のことを書いた。

サッカーのようなチームスポーツの団体に、

子どもを入れる一番の意味は何なのか。

サッカーをうまくさせることなのか。

頑張る気持ちを育てることなのか。

あいさつできるようにすることなのか。

・・・


全て正しい。

ただ、ひとつ物足りない。

サッカーのチームに入れば、サッカーはうまくなる。

野球のチームに入れば、野球がうまくなる。

あたりまえのことだ。

頑張る気持ちを育てる。

サッカーのチームでなくても出来る。

あいさつできるようにする。

これも、サッカーのチームでなくても出来る。

武道のチームなど、特に厳しく指導してくれる。


サッカーというチームスポーツの団体に、

子どもを入れる一番の意味。

それは、「みんなのことを考える心」なのではないか。


子どもは、わがままだ。

それは、そうだ。

生まれたとき、世界は自分を中心に回っている、

と思わせるほど、たくさんの笑顔に囲まれた。

泣けば、おとなが飛んできた。

何でも、思い通りに事が進んだ。

だんだん、そうはいかなくなってきた。

泣いても、わめいても、思い通りには進まない。

そんな中、小学校に入る。

ますます、思い通りには進まない。

そうやって、わがままな気持ちが矯正されていく。

社会性を身につけていく。


「わがままな気持ち」は、だんだん少なくなっていっても、

一歩進んだ、「仲間を思う気持ち」は、育つわけではない。

「わがままではなくなること」と、「仲間を思う気持ち」は、別物だ。


しゅんすけは、4年生でただ一人、富山遠征に行った。

抜群の活躍で、チームを勝利に導いた。

富山遠征は、次週から始まる、さわやか杯でのチーム作り、

という構想が、私にはあった。

富山で大ブレークして、さわやか杯で予選リーグを突破し、

中央大会に進む…そういう構想だ。

しゅんすけは、なくてはならない存在になった。

ところが、しゅんすけの家族は、そんな事情は知らない。

予定を入れていた。

私の話を聞いて、予定を取りやめて、大会に参加させてくれた。


みのりは、5年生。

さわやか杯のことは伝えてあったが、

勘違いで、予定を入れてしまっていた。

私の話を聞いて、予定を取りやめて、大会に参加させてくれた。


自分が休む、ということは、どういうことなのか。

戦力になるかどうか、ということは関係ない。

16人で練習していれば、16人がチームだ。

一人欠けても、チームにならない。

スタメンは、11人だ。

これは、ルールなのだから仕方がない。

怪我したら、疲れて走れなくなってきたら、……。

交代選手は、絶対に必要だ。

いなくては、戦えないのだ。


試合を休む。

「みんなに悪いなあ。」と思う子どもを育てなければならない。

それが、おとなの責務だ。

そう思う。

間違っても、「休んでも平気な子」に育ててはならない。

しゅんすけとみのりのお家の方は、

そこら辺が十分に分かっていらした。

それが嬉しかった。


各個人の戦力の差は、当然、ある。

日本代表のような選抜チームではない、地域の少年チームだ。

今の6年生チームにも、差はある。

その差を埋めるためにも、練習は必要だ。

練習を休めば、下手になる。

当たり前のことだ。

下手ならば、交代して試合に出たときに、活躍は出来ない。

やはり、練習して、上手になっていなければならない。

自分のためにも、仲間のためにも。


練習を休む。

「みんなに悪いなあ。」と思う子どもを育てなければならない。

それが、おとなの責務だ。

そう思う。

間違っても、「休んでも平気な子」に育ててはならない。


しゅんすけとみのりは、きっと、練習や試合を休むときに、

「みんなに悪いなあ。」と思う子に育っているだろう。

少なくとも、育っていくだろう。

そう思った。


フォア・ザ・チームの精神。

チームスポーツの団体に入れた以上、

おとなが意識して、子どもに指導していかなければならない。

そうでなければ、

子どもにチームスポーツをさせる意味は、半減すると私は思っている。