臍脱(さいだつ)そして、心停止
昼頃になって、内診したトヨの手ともう一方の手で同時に腹部を押した勢いでいったん上に動いた胎児はすぐに元の位置に戻ったものの、大量の羊水が腟から流れ出し、それに続いて右肩の下から潜り抜けるように胎児の右手が腟から出てきました。しばらくすると、それに続いて上腕部の横を這うようにへその緒も出てきました。
赤みを帯びていた胎児の手から徐々に血の気が引き、ぐったりしてきました。右の手を押しても引いてもお腹の中の胎児は動かず、お腹の硬さも極限に達したころに、それまで動いていた臍帯の拍動も停止してしまいました。この垂れ下がった棒状の紐のどちらかに胎児がいます。ついに胎児は、この世に生まれる前に命を失ってしまいました。
途方に暮れたトヨでしたが、気を取り直し、反芻(はんすう)するように冷静に考えました。今までの全ての経験を頭の中に描いて考え続けました。幸いにも、胎児の肩と手が腟に栓をする形で塞がっているため、子宮口からの出血はそれほどでもありません。
取上婆となったトヨ
トヨが取上婆という生業を始めたのはトヨの夫が病死した20年前の45歳の時でした。それから20年間は18歳年上の先輩に誘われ、助手のように取上にいそしんできました。当時は天保の飢饉からようやく立ち直ったころで、働くことでしか夫が亡くなった悲しみから逃れることができませんでした。
3年前に取上婆として独り立ちし、年間二百ほどの分娩をこなしてきました。難しい分娩は近くの医師と協力をして取り扱ってきたものの、今回のように進行する分娩経過はさすがに経験したことはありませんでした。
「赤ん坊はもう死んでいる。このまま時間がたてばミトの命も危ない。何かもっと違うことをやらないと赤ん坊は出てこない。でも、今の自分ではどうすることもできない…」とトヨは呆然としていました。
トヨはお産で困った時や妊婦の状態がいつもと異なるときにいつも相談していた医師の岡部均平にこのお産を委ねることにしました。このお産がトヨにとっては到底なにもできない、無理なことで、このままではミトの命も危ないことを常七に伝えて、「均平先生に相談してくるから、ミトさんを少し見ててください」と言い残し、均平の家に向かいました。
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