絶望感と喪失感
いつも困った時に対応してくれる均平にトヨはこれまでの経過を説明しました。
「手もほぞ(へその緒)も下から出てきて、がっちり止まってしまったんや、子供はぴくりともせん」
「ほぞは動いとるのか」
「もう半刻前に腕と腟に挟まれて止まっています」
「わかった、とにかく行って、見てみてから考えよう」
と言い、均平は分娩と難産時の支度をして午後の診療を休診にしました。トヨは先に本橋家に戻り、ミトの傍で均平を待ちました。
その日の午後3時にトヨに呼ばれた均平は難産の時に使用する医療用具を携えて本橋家に到着しました。すでに分娩開始から(陣痛が始まってから)36時間程経過しています。均平は専用の分娩椅子から下りて布団に横たわっているミトを診察しました。目にしたのはミトの腟から飛び出した臍帯と胎児の右側の肩と手、そして少量ながら続く腟からの出血…。均平はミトと赤ちゃんの様子を見て、このお産の一部始終を瞬時に理解しました。
均平はミトの上半身側から外回転術を試みましたが、胎児は一向に動きませんでした。さらに均平は乳頭を刺激(注1)して陣痛を促してみましたが、子宮収縮が増すだけで、右の肩の上に続く胎児が動く様子はまったくありません。
医療器具が入った籠の中から均平は「探頷器(たんがんき)」を取り出し、用意してもらった熱湯に「探頷器」の先端を浸し、温めました。自由に曲がるようになった「探頷器」の先端を、ミトの腟から飛び出た腕と肩に沿って胎児の頭がある右方向に挿入し、手探りで胎児の首に掛けるように試みるものの、腟内にはまり込んだ手と肩に邪魔され、「探頷器」を頭があると思われる先に進めることは不可能でした。
次に穿頭術(せんとうじゅつ)(perforation)を試みようとしたものの(穿頭術は、当時は回生術・鉄鉤法・切胎術とも言いました。分娩停止した母体を助けるために、死児の後頸部を鉄鉤で破壊して頭部を取り出す方法として一般的な方法でした。)、均平が手にした鉄鉤では胎児の頭部に触れるどころか、肩を傷つけるだけで、胎児の頭部にも届きませんでした。傷ついた肩からは出血もありませんでした。
均平は産塾である「如達堂」で学んできた産科の全ての知識と技術を駆使して飛び出た肩を戻そうと試みるものの、かたく固定された肩はビクともせず、ミトの分娩には何の効果もなく役に立ちませんでした。小一時間を要した診察は均平に「何もできない」という絶望感と胎児の命を失ってしまったという喪失感を与えただけでした。
注1:
乳頭を刺激することでオキシトシン分泌が促進され、乳房の乳管平滑筋を収縮させて乳汁を分泌させます。
また、分娩時は産道への刺激によってもオキシトシンの分泌が亢進し、子宮平滑筋の収縮が増強されることにより、胎児を下降させることが知られています。
これにより産道は更に強く刺激され、分娩を刺激する方向に働く。昔から、分娩の進行が停滞したときに乳頭マッサージを行い、陣痛をつけることはよく行われていました。
なお、思春期以降に、乳房を発達させるホルモンはエストロゲン、乳汁産生を促進するホルモンはプロラクチンです。また、オキシトシンが商品として生成されたものが「アトニン」で、陣痛促進剤として分娩誘発に広く使用されています。
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