新国立劇場オペラ「タンホイザー」 | 慧琳の鑑賞眼

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 「タンホイザー」は2017年にNHKホールまで聴きに行って寝た思い出があるため再挑戦メラメラあの時はバイエルン国立歌劇場の公演で、なんか衣装がキテレツのキテレツで、女性(ヴェヌスベルクの人々)が半裸とか、ヴェーヌスが肉塊の着ぐるみを着ていたりして「へ!!!!!?!?オペラって・・・はてなマーク」となった記憶がある。。。。。
 
 今回はTwitterで東京シティ・バレエ団によるバレエシーンがあるとのことで、肉塊は出て来なさそうだし、筆者お気に入りの吉留さんが2回連続ソリストやってるみたいだし、という期待を持って行きました。
 
 解説によると、「タンホイザー」は最も分かりやすい部類に入るワーグナー作品らしいですね。「愛の本質」「救済」と言えば昨年の「さまよえるオランダ人」がワーグナーの中では最もお気に入りですが、今回「タンホイザー」を見直してみて、人間心理をよく表しているのと筆者にも思い当たるところがあり、なかなか興味深く見られた作品でした。でもやっぱり眠くなったし考え事してたけど照れ
 
 ワーグナーの音楽は予習をして行っても、覚えにくいのと指揮者によって強調する楽器が異なるようなので、毎回あれ?こうだったっけ?となりますが、いずれかの幕の序曲に必ず静謐な曲が入りますね。弦楽器が消え入りそうでいて、しっかり流れと厚みを作り出しているの、ワーグナーの凄みだなと思って楽しみになりました。
 
 冒頭のバレエシーン、コールドの女性の衣装は白髪に裸体の影のついた全身タイツ、そして胸に詰め物をしてFカップくらいにして、「女性の官能美」の表現とでも言いましょうか。なかなかにグロテスクな衣装でしたねアハハチーン逆を考えると、ヴェヌスベルクの世界を的確に表現できていると言えるでしょう。コンテンポラリーダンスをメインにしたらあんな衣装にできないですから、オペラの中のバレエシーンならではでした。
 
 この前の「プラスチック」の舞台装置ではありませんが、半透明の囲いの中からはバレエダンサーの縦横高さをそれぞれ3倍にしたような体格のタンホイザーと、詰め物の3倍の胸のヴェーヌスが出てきます。すいません、U39で素晴らしく見やすい前の席なもんで何でも目に入ってしまうんですニヤリとにかく日本人との体格差すごい。それでもって声が柔らかく伸びがあって素晴らしいのなんの。
 
 
 資料室で読んだタンホイザー役:グールドさんのインタビューには「タンホイザーはどの世界にいても何かしらの不満を持つ人間の本性を現している。これは彼が人生を模索する物語」とおっしゃっていて、なるほど確かにと納得、感動しました。
 
 第一幕で、ここから去るというタンホイザーに対し、ヴェーヌスが歌います。「かつての苦しみを忘れたの、今はこんなに快楽に包まれているのに」この歌詞(字幕)にはっとしました。辛いからこそ人は快楽を求めるのに、快楽に浸りすぎると逆に刺激がほしくなる。安定した平穏な日々を望むのに、それが続くと毎日の繰り返しにうんざりしてくる。まさにこのことだと思いました。
 
 タンホイザーは結局、快楽の生活を捨て現世に戻ります。谷間で自然の美しさを歌う「牧童」、歌詞に「春」「そよ風」などあり、文字通り声が春のように軽やかで明るく、天から降ってくるようでした。タンホイザーは自然の輝きを歌いますが、自然の移り変わりを享受できる余裕があると心が満たされると言いますか、ふと手を止めて没入していたものから顔を上げるとまた違って心が落ち着きますよね。まさにこのことかなと。
 
 第二幕は歌合戦。「ニュルンベルクのマイスタージンガー」にも歌合戦がありますね。一人の参加者に対して逐一主人公が反論していくタイプで、これもやり方が面白いです。しかも必ずテノールです。ソプラノの歌合戦がある作品を探してみたいです。これがバレエならと考えてみたところ、新国立劇場バレエの「白鳥の湖」には各国の王女が花嫁の座を競って踊りを繰り広げる場面が浮かびました。まさしく「踊り合戦」かなと。ただバレエの場合「ディベルティスマン」ちゅうて、「筋とは関係ありまへん」と言って猫とか青い鳥とか人形とか出てくるじゃないですか、「眠り」とか「くるみ」とか。「ドンキ」「ライモンダ」「パキータ」とかもはや「盛り上げです」と言ってバリエーション入れてくるじゃないですか。「合戦」にすれば良いのに!!とふと思いました。
 
 宮廷のシーンでは歌手がたくさん舞台に並びました。もう感染対策の感覚は気にしなくても良いようです。舞台に人が戻ってきて、醍醐味が増しました。4月の「アイーダ」が楽しみですドキドキ観客のブラボーはまだ禁止ですが、何でもこの前の幕張メッセでのBABYMETALのライブでは指定の「セイバーマスク」を付けて声出しOKにしていたようですよ~
 
 エリーザベトの無償の愛で救われる点、「さまよえる~」と同じですね。最後はタンホイザーの死で物語が終わりました。両手を広げて迎え入れてくれるヴェーヌスの元には行かず、タンホイザーの救済を求めてエリーザベトは死、愛を与えてくれる存在は常に彼の隣にいるわけではないのですね。結局孤独になるタンホイザー、人間とは元来孤独な存在であるのだと突きつけられたように思いました。
 
 彼は「永劫の罰」を与えられ絶望して暴れますが(危険人物じゃないか)、エリーザベトによって魂が救済されたはずです。なぜ彼が死に、「恩寵のゆるし」で終わるのかがイマイチよく分からないです。救済されたら生きるはずではないのでしょうか?