身から出た素描 -36ページ目

③火曜日

よく晴れた朝に感謝しながら、男は自分の細胞のひとつひとつが生きていることを意識した。

あと5日間で自分は死ぬ・・・つもりで生きている。自分の意識に正直に、且つへんな照れが枷になってできないようなことも余裕できる。なんだか自分が開けている感覚だ。

しかし実際に死ぬことはない。だから悲観的になることはない。

生きていくうえで一番いい意識の仕方だな、と満足している。

今日は一度行ってみたかった富士山に行くことにした。
何かあるわけではないが、近くで日本一の山を見てみたいと思っていたのだ。

新幹線の中では好きな音楽を聴きながら窓の外ばかり観ていた。

一昨日メールを送った人たちからの返信も、だいぶあった。

窓の外には想像以上に巨大な山が見えはじめていた。

思い入れはないのだか、なんだか帰ってきたような気持ちにまでなっていた。

旅館に泊まり、夜を過ごしていると、だんだんと世界が内側に向かって膨張していく。なんだかたまらなくなっていたが、ふと次の仕事のことを考えてしまった。

貯金も多いわけでもなく、やりたいことがあるわけでもなく。
前の会社は給料は悪くなかったな、と思うと我慢して働いていれば良かったような気になった。


死ぬつもりで生きるはずが、こうなったらもう止まらない。
企画に支障が出ないうちに寝るのが一番だ。

珍しく1人でビールを沢山飲んでしまった。

②月曜日

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実家に帰った男は、初めてゆっくりと父親と酒を飲んだ。

饒舌なところをみると、父親も喜んでいることがわかる。簡単なつまみを運んできてくれた母親もそれを嬉しそうに見ている。

親孝行、してしまった。今まで自分のことばかりだったけれど、これも気分のいいものだな。

二日目が過ぎようとしている。明日はずっと行きたかったところに行くことにしよう。

あと五日間で生を全うするのだ。
男は実家の風呂に入ってゆっくり目をつむった。

①日曜日

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その男は、単調な毎日に少しだけ焦りを感じていた。

テレビで病気を克服した人のドキュメンタリーを観ていたときに、これだと思いたった。

いつ何で自分も死ぬかわからない。自分の寿命があと1週間と仮定して、精一杯に生きてみようと決めた。

どうせ機会をみて辞めようと思っていた今の仕事も、思い切って辞めることにした。

自分はあと1週間しかないのだ。そう考えるとまず今の仕事程無駄な時間の使い方はない。

冷蔵庫の中を入念にチェックし、簡単な食事を作った。
携帯電話をいじりながら、音信の途切れた昔の友人などに思いを馳せた。
自分と関わってきてくれた人こそ財産。そんな気持ちになり、アドレスが入っている人間全員に2時間以上かけてメールを打った。

実家の両親や兄弟には、明日帰るからと告げた。

沢山の友人との沢山の思い出にひたって眠る一日目であった。