誰のための「入管法改正」? Queenの「手を取り合って」を今こそ | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 大ヒット中の映画「ボヘミアン・ラプソディー」では、ザンジバル生まれのフレディ・マーキュリーが空港で荷物係をしながら「パキ」(パキスタン人の意)と差別的に扱われる印象的な場面から始まります。

 

 現在、すでに約128万人の外国人労働者が日本にはいて、少子化と人口減少にあえぐ日本の「労働力不足」の分野を補っている・・・と言われています。「労働力不足」というよりは、その低賃金と人権侵害・差別の実態からすると「奴隷不足」の分野ということになりそうです。

 

 非正規職の割合が37.3%(総務省2018年4月公表)と全労働者の4割に迫る状況下、いわゆるブラック企業的な労働条件で働く日本人労働者も拡大傾向にあります。

 Totoの社長は「労働条件の問題を解決せずに受け入れを拡大するのは疑問」とまっとうなコメントして(朝日12/1)いますが、そんな疑問は誰もがわかりきっていること。

 

 

 政府の狙いは、むしろそこにあり、現下の労働条件(というか賃金奴隷状況)をそのままにしてこそ「旨味」があるのであって、そのまま外国人の賃金奴隷を輸入し日本人の非正規労働者とさらに競わせよう、ということでしょう。賃金を上げたり、労働条件を改善するつもりなどさらさらありません。

 

 

 侵略・戦時下の「徴用工」つまり外国人・他民族労働者を奴隷的に扱った大資本に対する責任追及に対し、政府が介入し排外主義的ナショナリズムで煽っている中での「入管法改正」です。

 日本国内での「労働条件」は改悪傾向の中、ただただ奴隷を増やし、競わせ、分断し、支配をし、使い捨てる・・・としか思えません。

 

 つまり、資本のための階級的利益追及としての「移民政策」=賃金奴隷輸入が、今般、バタバタ行おうとしている政府の「入管法改正」の本質でしょう。

 

 

 このような目的の入管法改正にはもちろん反対ですが、その上で、すでに国内に存在する外国人労働者との分断を超えていかに団結を形成するか。

 

 大韓帝国を侵略(1910年)した日本において朝鮮半島から労働力として連れてこられた朝鮮人労働者と日本の労働者は禁止されながらも1920年に始まったメーデーの集会に1922年には合流し、朝鮮人労働者・白武さんが「ブルジョアに国境があっても、我々になんの国境があろうか」と演説したとのこと。

 

 この団結形成を察知してか、翌(1923)年の関東大震災時に政府は朝鮮人・中国人の虐殺を煽り、惨劇を生み出します。

 

 ちなみに「親日家」として有名なフレディは、Queenとして「日本語」で「手を取り合って」という美しい曲を発表しました。

 

      手を取り合って このままいこう

      愛する人よ

      静かな宵に 光を灯し

      愛しき教えを抱き

 

 愛しき教えを抱き・・・Let us never lose the lessonw we hava learned・・・学んだ教訓を決して忘れることなく・・・国境を超えた美しいMessageです。

 

 歴史の教訓に学び、国際連帯を、今こそ!