なんかさ、オレだけ、星の巡りが悪いのかさ、ツイていない気がするんだよね。一所懸命やっているつもりなんだけどなあ・・・。それでも努力が足りないのかね・・・。いや、もともと才能がないのかな。カネもあるところにあるみたいじゃん?オレんとこには回ってこないけどさ。アイツんとこ、景気いいみたいじゃん?ってかニッポン、オレ以外は景気いいんでしょ。オレだけ、ダメらしいよ、他人には言えないけど。え?、うん、そりゃ言えないよ、カッコ悪いじゃん、みんな景気良さそうなのにさ。マンションとかガンガン売れてるんでしょ? 参っちゃうよなあ・・・。
・・・みたいな想いで日々モンモンとしている人も多いのではないでしょうか。そうでもないかな。まあ、ともかく、そう感じている人が多いと私は思います。
多かれ少なかれ、同じような想いに私も囚われているからです。
そういう話をすると、「え〜、んなことないでしょ!私の方がもっと大変だよ」とか「もっと大変な人がいるんだよ、知らないだけだよ」と指摘されることもあります。
確かにそうかもしれません。というか、そうでしょうね。世界にはもっともっと大変な人が沢山います。今、相対的には私はマシだと認識します。
だからこそ、マシであるからこそ、その責任としても頑張って自分と、自分の仲間たちの世界をよくしたいと思います。
仲間?競争相手だろ?・・・これが、今の価値観かもしれません。「自己責任」と「孤立化」。子どもの頃から、多くの階層に分断され、自分の位置を悟ることを強要され、「自分はこんなもん」的なあり方、もしくは、資本主義的下克上というか、「カネを稼ぐ奴がエラい」の世界でのし上がることを目標に「させられる」か。
「オマエよりオレがちょっとマシ」「俺の方がちょっと上」「アイツはかなり上、クラスが違う」「家建てたらしいよ」「今月、お金足りない」「引き落とされませんでした」「相続?兄弟って他人だね」「あそこの子、ずっと私立だって」等々・・・。
様々な「分断」「孤立化」があります。しかし、それは、私たちの生の価値(強いていえば「価値」)ではありません、それは、資本主義的な「攻撃」です。
「私たち」が「互い」に「差別」し、「競争」し、「敵対」し、決して団結したり、連帯したり、そして共謀したりしないために、様々な「分断」の仕掛けを作っているのです。
真面目に生きようとすれば、するほど、やりきれない感じ。これが私たちの21世紀の現実(実感)だと思います。自分が足りないんだ、自分がいけないんだ、自分の力不足なんだ、このように真面目な人ほど、思い込まされ、自殺に追い込まれる人もいるでしょう。
世界はこの形しかないわけではありません。資本主義の歴史はせいぜい数百年。やりきれない感じを乗り越えて、分断を乗り越えて、見たことのない未来を掴み取りましょう!