「中高年の独身女性を対象に、市民団体が実施した調査で、65歳以上の51.4%が働いていることが分かった。年金を受給できる年齢になっても、生活のために働き続けなければならない実態が浮かんだ。」とのことです(産経6/23)。
年金では、生活できない65歳以上の女性が日本には、かなり居る、そういう時代だということだと思います。
来月、貧困をテーマにしたイベントに参加するので、改めて貧困という問題をいろいろ調べています。もともと、20年以上前にホームレスと呼ばれる状態の人たちと関わったこともあり、貧困・格差等には関心がなかったわけではありません。
しかし、20年前、ホームレス問題は、「貧困問題」とはされていませんでした。「自分でそのような生活を選んだ特異な人たち」というところが世間一般の見方だったと思います。
その意味では、21世紀の今、「貧困・格差」は、普遍的なテーマとして、いわば「市民権を得た」と思います。そもそも、日本の高齢者の就業率は「高止まり」と言われる状態です。今や「貧困化」が、「特異な人たち」を超えて、普遍的に、世代横断的(子どもも、若者も、高齢者も)に拡大してきていることは争いないでしょう。
「いやいや、最近、景気はいいし、大学内定率も高いし、ウチはまだだけど、きっと利潤がしたたり落ちてくる(トリクルダウン)から、きっと」なんて方もいて、貧困の拡大が争いない、ということはないのかもしれません。実際、答えは、あなたの実感する日々の生活と未来の展望の中にあるでしょう。その実感の中に、どこまでの仲間を想定できるか、がかかっているのかもしれません。
いずれにせよ、多くのデータが、ピケティが指摘するところの r > g(r=資本収益率 g=経済成長率)、つまり働く者より持っている者が、富を集中させるという現実を示してはいる、と思います。
私は、今般の共謀罪は貧困・格差の拡大あってのもの、と認識しています。
日本に限らず資本主義体制の世界は、各地で貧困・格差が極端なまでに拡大し、そこに予定調和な想定を超えたラディカルな現実が立ち上がり、階級(CLASS)もくっきりと現れつつあります。
ある意味、そのことを最も認識しているのは資本側=政府側なのでしょう。3度も廃案になった共謀罪を、どうしても、どうしても欲しかったのは、貧困の拡大による99%側の民衆の抑えがたい不満と怒りの爆発を何としても抑えたい、人々が不満と情報を伝えあい(つまり共謀)、この世界(資本主義)のあり方に異議を唱え、実現することを、事前に潰したい、そのための「武器」が欲しい、そういう焦りと欲求の現れでしょう。
1925年に施行された治安維持法は、第1条で「国体を変革し又は私有財産制度を否認することを目的として結社を組織し又は情を知りて之に加入したる者」を処罰対象にしていました。「拡大の危険性」といいますが、戦前であれば、治安維持法が共産主義だけを対象としていれば、それでよかったのか、という点は見逃せません。あるいは共謀罪ならば、「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」に限定するならば、問題はないのか。
当時も今も、社会のOSを変更する思想、つまり共産主義や社会主義傾向の発想を組織的犯罪と規定し、「アカ」や「過激派」として徹底的にキャンペーンをしていますが、これらの「危険思想」とは、つまりは、貧困を脱し、格差をなくす社会を構築する発想であり、当たり前のことなのです。治安維持法も共謀罪も狙っているのは、この資本主義にNO!を突きつける思想と運動です。
いまや世界的に、「1%が99%を支配」するような格差社会、新自由主義に対する抵抗が始まっています。昨年のフランスにおける激しい全国的な抗議行動や、ブラジル、韓国での大衆運動の高揚もそうした例です。政府は、そうした運動が日本でも始まることを最も恐れいているのです。
ともすれば、発達したメディアを利用して、「景気はいいんだ、悪いのはオマエの自分の才能と努力の問題だ、オマエの自己責任だ、他人は競争相手だ、仲間じゃないぞ」というアナウンスとナショナリズム的な包摂により、資本も民衆も運命共同体、頑張れニッポンみたいなところに「印象操作」されそうな昨今。
私たちが共通も問題として「貧困と格差」を認識し、自分たちの境遇を根本的に改めることを企てることこそが、政府・権力にとっての「共謀罪」なのです。貧困のこの拡大傾向をあきらめさせること、それが共謀罪の狙いであり、であればこそ、私たちは、世界を変えるための共謀をし続けなければなりません。