マルクスを読んだことがあるかい?(ムッシュ風) | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 まあ、ここのところ、労働事件の相談が多いです。雇い止め、残業代未払い、パワハラ・・・。

 

 「働き方改革」って? 賃金奴隷支配改革?。資本主義も新たな「自由」=新自由主義を謳歌すべく、やりたい放題で、労働者をこき使おうとしていると思います。定額使いたい放題の労働「市場」です。

 

 100年以上前、マルクスは、

 「労働者が生産過程から出てくるときには、生産過程に入ったときとは異なる姿をしていることを認める必要がある。労働者の市場では、「労働力」という商品の所有者として、その他の商品の所有者と向き合っている。このときの関係はあくまでも商品の所有者どうしの関係である。労働者は資本家と、自分の労働力を売る契約を結ぶ。このことは、労働者は自分自身を自由に処分することのできる存在であることを、きわめて明確に示すものである。

 ところでが契約を結んでみると、労働者が自分は「自由な行為主体」ではないことを発見する。自分の労働力を売るために自由に使えるはずだった時間は、労働力を売ることを強制されている時間だったことを発見するのである。実際にこの吸血鬼は、「まだ搾取できる一片の筋肉が、一筋の腱が、一定の血が残っているかぎり」、労働者を手放そうとしない。労働者は苦痛を与える蛇から「身を守る」ために団結しなければならない。そして一つの階級として、国家に法律を制定させなければならない。労働者の自由意志に基づいて資本と契約しながら、それでいて労働者自身とその同胞を死と隷従においやることを防ぐための強力な社会的な防壁となることのできる法律を。「手放すことのできない人権」とかを列挙したうやうやしいカタログではなく、労働日を法律で制限する慎ましいマグナ・カルタが登場し、それが「ついに労働者が売り渡す時間がいつ終わり、自分の時間がいつ始まるかが明らかになる」だろう。なんと大きな変化であることか」(『資本論』第1巻第8章 労働日)

 

 と書いています。私たち、もう一度、19世紀なみに「搾取」されようとしているんじゃないの?・・・と思います。

 

 戦争や搾取って、私が子どもの頃は、「歴史」と思っていました。21世紀は希望と豊かさに溢れた時代になる、と思っていました。

 

 ところが、21世紀の現実は、一触即発の核戦争の危機と信じられないほどの階級的格差=富の偏在の時代です。

 

 ひどいもんだよねえ、そして「治安維持法」の再来として共謀罪まで成立されようとしています。これって、要するに「こんな世の中おかしい!」という革命思想、つまりはマルクスが分析したところの資本主義を転覆させて、みんなが豊かに暮らせる世界をもらそうという思想をつぶそう、という「19世紀的」な法律です。

 

 ・・・参ったなあ。我々は学んだはずなんだけどなあ。もちろん『資本論』は聖書レベルん有名性と同時にもっとも読まれていない本です。私も大学時代、早々に挫折しました。19世紀には読んだ人も多かったみたいですが・・・。

 

 自分もちゃっと読んだことないなあ、と改めて紐解くと、いいことが書いてあります、つまりは、資本主義の性格自体は変わらないどころか、今、21世紀の今こそ、もっとも顕在化しているのだと思います。

 

 資本主義は一部の人(資本家)のためのOSであり、大多数の人のためのものではありません。そのように設計されていません。

 

 「資本家としての彼は、人間の姿をとった資本にすぎない。資本家の魂は、資本の魂である。そして資本の生も衝動はただ一つである。みずからの価値を増殖すること、増殖価値を作り出すこと、資本の不変部分である生産手段を利用して、できるだけ多くの増殖労働を吸いとること、それが資本の唯一の衝動である」(前同書)

 

 とマルクスが指摘している資本のあり方は今日、顕著になるばかりで、その逆ではありません。

 

 今という時代を俯瞰し、全体像を見る、そして次の時代を考えるためにも、改めて、一応、マルクスを読んでおいてもいいのかな、と思います。そのうえで、違うよ、っていう意見はありだと思います。議論しましょう!