危機に立つのどちらか? | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 いわゆる共謀罪法案につき、衆院法務委員会での採決を強行しました(5/19)。「共謀」つまり、話し合いしたり、「いいね」したり、シェアしたり、ともかく意思を通じ合えば、実際にやらなくても犯罪というものであって、かつての弾圧立法=治安維持法の再来、と言われています。その通りだと思います。

 

 この間、私自身、いく通りかのメディアからの取材等を受けましたが、今の世の中、不思議なほど「一般人意識」とでもいうものが蔓延しているのか(まあ、蔓延させられているのでしょうけども)、「一般人にも及ぶ、つまり濫用される危険性がある法律ということですね?」と念を押されがちでした。

 

 「いや、そうではなくて、濫用というか、そうできる使い勝手のいい武器だから欲しいんでしょ」というのが私の認識です。そうでなければ、3度も廃案になっているのに、これほど政府が欲しがる理由はないはずです。

 

 いや、テロ対策、つまり私たちのためでしょ、って? その発想がわかりません。是々非々、とかいいますが、今の政権が・私たち、つまり1%側資本の立場ではない者(輩)のために・何かしてくれる・と本当に思いますか?

 

 私は思いません。なので、テロ対策なんてただの方便で、私や私たちの反戦や反原発や反資本主義の思想と活動こそを潰したいのだと、それが目的の法案なのだと確信しています。この点については、自信があります。

 

 で、私が言いたいのは、だからこそ、追い詰められているのはどちらか?という話です。

 朝鮮半島での戦争の危機煽り、テロ対策、景気、いずれもなんとかしなければならない、なので一丸となって頑張ろう、オリンピックでもやって盛り上げようというのが政府の今もプロパガンダ。

 

 しかし、本当に危機なのは、私たち=99%側ではなく、資本と政府であり、その危機を戦争は原発やリニアやオリンピックで乗り切ろうと追い詰められている、というのが真相では?と思っています。

 

 そうでなければ、これほど必死に、格好をつようともせず、弾圧立法であり、政府にとっての武器でしかない共謀罪を欲しないのではないでしょうか。

 

 別に国会内の多数が、私たち大多数の意思と一致しているとは思いません。選挙というシステムにより歪まされているのだと思っています。

 

 その事実こそ、今、世界中の政府が知られたくないこと、暴露されたくないこと、あけすけに語られたくないことでしょう。

 

 そりゃ確かに、俺たち、「教育」と「メディア」によってズブズブに社会のこと考えない個人主義に埋め込まれているし、カネになんないことには一所懸命にならないようにされているでしょうよ。だから、騙すのも、追い詰めるのも、諦めさせるのも簡単、と思われているかもしれません。

 

 だけれども、実際に追い込まれ、現体制=資本主義のぎりぎりに追い詰められているのは世界各国の政府=大資本側。これは、未来から見れば歴史の事実になると思います。

 

 だから、私たちは、政府をさらに追い詰めるつもりで、この戦争と改憲と共謀罪の情勢を、これこそが追い詰められた政府の焦りだと見極めて、闘い抜くとき、だと思います。